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熱田神宮略記

熱田神宮略記

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[#1字下げ]猶祈祷神樂を願出でた者の休憩に便するためには、神樂殿南側に建坪三十五坪の休憩所を昭和十六年六月に新築。檜素木神明造の簡素な建物である。 東樂所、西樂所[#「東樂所、西樂所」は小見出し] [#1字下げ]又左樂所、右樂所とも稱し、海上門を入つて直ぐ東西に合ひ合つてゐるのがそれである。現今の建物は貞享三年五代將軍徳川綱吉の再建にかゝるものである。毎年五月一日の舞樂神事には、舞人が左右樂所から交々舞臺に進み出でゝ舞ふのである。その左樂所から出る舞人の舞を左舞《さまひ》、右樂所からのそれを右舞《うまひ》といひ、左右兩舞を合せて一番《つがひ》と稱する。この樣に樂所を左右に分つて建てたのは稀に見る所である。尚五月八日豐年祭の飾物は、この兩樂所に於いて行ふのである。 春敲門《しゆんこうもん》[#「春敲門」は同行小見出し](東御門) [#1字下げ]朱鳥元年の創建、貞享三年に改築せられてゐる。もとは現今の位置より約百十間程北方にあつたが、境域の擴張に從ひ、大正十三年十二月先づ約九十間南方に移り、更に昭和十三年七月神樂殿改築工事のため、約二十間南方に移つた。扁額は小野道風筆と傳ふる古額を模したものである。 鎭皇門《ちんこうもん》[#「鎭皇門」は同行小見出し](西御門) 三間一戸樓門・屋根入母屋造正面軒唐破風檜皮葺(桃山時代) [#1字下げ]朱鳥元年の創建、もと 天武天皇宸筆の扁額があつたが、正應四年の火災に鳥有に歸し、後又 伏見天皇から勅額を賜はつたが、慶長初年の炎上に再び燒失したといふ。現在のものは續撰清正記及び腰組枠肘木等の墨書銘によれば、慶長五年加藤清正の改築に係り、特に珍しいのは上層正面中央の間に大華燈窓を開いてゐることである。貞享三年將軍綱吉修理を加へ、境域の擴張に從ひ、大正十五年九月北方約九十間の地から現位置に移轉修築した。昭和三年四月四日特別保護建造物(國寶)に指定せられた。毎年五月五日この門の樓上に神輿を舁き上げ、皇城の鎭護を祈り奉るに依つて、その稱があるといふ。 佐久間燈籠[#「佐久間燈籠」は小見出し] [#1字下げ]古は海上門内西南にあつたが、現今は東參道が正面參道に合する一角にある。織田信長の臣尾張御器所城主佐久間盛次の四男、大膳亮勝之が海上で颱風に遭ひ、當神宮の守護を祈り難を免れたので、寛永七年その報賽として寄進したものである。 清雪門《せいせつもん》[#「清雪門」は小見出し] [#1字下げ]末社徹社の東方にある。もと本宮の北にあつたと傳へる。常に閉して開かぬので、俗に不開門《あかずのもん》といひ又學藤門とも呼ぶ。 舊|政所《まんどころ》[#「舊政所」は小見出し] [#1字下げ]もと神宮の宮務を執つた所で明治十一年十月 明治天皇御巡幸の際、同月二十八日此處で御休憩の後、御參拜あらせられた由緒深い建物で、當時の御座所はその儘保存してある。

<trjpft> 「熱田神宮略記」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>旧仮名</kstyle><tstyle>青空</tstyle></astyle> </trjpft>

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