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2015年11月15日 (日) 05:30時点における版
順にて同樣の事を繰り返す事各三回、即ち射手一人にて六本計三十六本の矢を奉射するのである。この射禮は當宮獨特のもので、社傳の古式に據ってゐる。 奉射が終わつて、射手は各々、宮司の前に進んで幣を受け、又矢帳役は矢帳を宮司の閲覽に供し、茲に神事全部を畢る。 この歩射の儀の畢るを待つて、拜觀者一齋に大的をめざしておしかけ之を奪ひ合ふ、特に的の中央の千木は、古來魔除けの信仰があり、船に祀れば海難除け、家に祀れば火難除け、田畑に祀れば害蟲除の靈驗ありとの信仰があるから、的の細片までも得んものと群衆の犇き爭ふさまは、言語に絶する壯觀である。 [#2字下げ]舞樂神事[#「舞樂神事」は同行小見出し] 五月一日 舞樂神事の起原は詳かでないが、現存の國寶舞樂面の裏書に、治承・弘安に修理の銘が見えてゐるから、すでに平安末期にこの神事の行はれた事が知られ、その後一時廢絶して、神禮供御の樂のみ存續してゐたが、元祿十二年藩主の命に依つて再興せられ、その後又多少の興廢があつて、明治二十七年に復興したのが今日に及んでゐる。 當日東西樂所の前庭に、鼉太鼓《だだいこ》を据ゑ、鉾敷竿を立て並べ、海上門内廣場の中央に舞臺を設ける。その儀は先づ宮司大前に進み祝詞を奏上すれば兩樂所から鳥兜、半臂裝束の樂人左右各一人が、舞臺の北方に進み、宮司の退下を待つ。宮司は退下して舞臺の前で舞樂目録をこれに授けた後、所定の幄舍に入り、樂人も樂所に歸り、これよりいよ/\振鉾に初まり、長慶子に終る八番の舞樂が順次に奉奏されるのである。その曲目の組合せは、左の十組があつて、十年毎に反覆して奉奏せられる。
一、振鉾 | 桃李花 | 太平樂 | 陵王 | 長慶子 |
綾切 | 陪呂 | 落蹲 | ||
二、振鉾 | 甘州 | 春庭花 | 散手 | 長慶子 |
登天樂 | 白濱 | 貴徳 | ||
三、振鉾 | 承和樂 | 喜春樂 | 拔頭 | 長慶子 |
仁和樂 | 志岐手 | 還城樂 | ||
四、振鉾 | 萬歳樂 | 安摩(二之舞) | 陵王 | 長慶子 |
延喜樂 | 蘇利古 | 納曾利 | ||
五、振鉾 | 賀天 | 五常樂 | 還城樂 | 長慶子 |
地久 | 長保樂 | 拔頭 | ||
六、振鉾 | 桃李花 | 胡飮酒 | 陵王 | 長慶子 |
登天樂 | 林歌 | 落蹲 | ||
七、振鉾 | 褁頭樂 | 央宮樂 | 散手 | 長慶子 |
仁和樂 | 新靺鞨 | 貴徳 | ||
八、振鉾 | 承和樂 | 春庭花 | 拔頭 | 長慶子 |
綾切 | 古鳥蘇 | 還城樂 |
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