李大白集卷十五(六一) (六二) (六三)廻橈楚江濟。揮策揚子津. (六四)身著日本表〓〓藏出風塵。知非信優人。五月造我語。相逢樂無限。水石日在眼。徒干五諸侯。不致百金產。(六六)吾友楊子雲。絃歌播〓芬。(六七)雖爲江寧宰。好與山公羣。乘興但一行。且知我愛君。君來幾何時。僊臺應有期。東窓綠玉樹。定長三五枝。(六八)至今天壇人。當笑爾歸遲。我苦惜遠別。茫然使心悲。(六九)黃河若不斷.白首長相思。ぜうかうひん:ここし橈を廻らす楚江の濱、策を揮ふ揚子の津。につほん:かうざうふうぢん身には日本の裘を著け、昂藏、風塵を出づ。cnsたい달た五月、我に造つて語る、知る恬候の人に非ざるを。あひあたのしみするせき相逢うて、樂限りなし、水石、日に眼に在り。しよこうをか2こんいた徒に五諸侯を干して、百金の產を致さず。bともやうしん强せいふん吾が友楊子雲、絃歌、〓芬を播く。かうねいこいへどさんこうそん江寧の宰たりと雖も、好し山公と羣す。たひとおつらま興に乘じて、但だ一たび行き、且我が君を愛するを知る。きみきた농せんだいまさ君來る幾ばく時ぞ、偲臺應に期あるべし。さだ東窓の綠玉樹、定めて三五枝を長せむ。いてんだん달:たんだかいおそこ今に至るまで、天壇の人、當に爾の歸る遲きを笑ふべし。われねんごろゑんべつ는おも我苦に遠別を惜み、茫然、心をして悲ましむ。くわうかはくしゆながあひおも黄河もし斷えずんば、白首長く相思はむ。【字解】【一】東方生漢武内傳に「東方朔、一五、龍に乘じて飛び去る、同時の衆人、西北より上つて冉冉たるを見る。仰望良や久しく、大霧、これを覆うて、之くところを知らず」とある。3魏侯左傳に「音侯、畢萬に魏を賜うて大夫となす」とある。3聊攝城左傳に「顆攝以東、姑尤以西」とあつて、一統志に「聊城は東昌府城の西北十五里に在り、攝城は博平縣の西南二十里に在り」と記してある。E田巴魯連太平御覽に「魯連子曰く、齊の靜士田巴、徂邱に辯じ、稷下に露し、五帝を毀り、三王を罪し、五伯を皆り、堅白を離し、同異を合し、一日にして千人を服す。〓連年十二、往いて見て曰く、臣、聞く、堂上の糞除かず、郊草芸らず、白刃前に変はれば流矢を救はずと、何となれば、急者救はず、緩者務に非ず。今、楚、南陽に軍し、趙、高唐を伐ち、燕人、十萬の衆、聊城に在つて去らず、國の亡ぶる、旦暮に在り、先生將に奈何せむとす。田巴曰く、奈何ともすべきなし。書述曰く、危は安を爲す能はず、亡は存を爲す能はざれば、學士を貴ぶなし。今、臣、將に南陽の師を罷め、高唐の兵を還し、聊城の衆を却けむとす。談說に費ぶところのものは、此の若きが爲めなり。若し能はざるもの、先生の言の如くならば、梟鳴いて聲を出して、人皆之を惡むに似たるなり。顯はくは、先生復たずる勿れ。田巴曰く、謹んで〓を受く、と。明日、徐劫を見て曰く、先生の駒は、乃ち飛兎騷畏なり、豈に特に千里のみならむや、と。ここに於て、口を杜ぎ、業を易へ、移身、復た談ぜず」とある。C王屋題義の下に詳し。E場來通雅に「猶ほ何来のごときなり」とある。3嵩峰卽ち嵩山、前に見ゆ。【八】月光子藝文類藥に「仙經に云ふ、當高山の東南大巌の下、石孔方圓、一丈四方、北に入ること五六里、大室あり、高さ三十餘丈、周圍三百步、自然明燭、相見る、日月の如く、異なるなし、中に十六仙人ありといふ。月光童子、常に天台に在り、時に亦た往來す。この中の人、道あるに非ざれば、望見するを得ず」とある〓玉女聽五色線に「國經に云ふ、當山に玉女窓あり、漢の武帝、窓中に於て玉女を見ると。謝鋒の當山に進ぶ書に云ふ、進んで玉女窓、搗衣石を窺ふ、石誠に異なり、窓は亡し、これ玉女窓、宋時に在つて、巳に無し」とある。C.O鬼谷元和郡縣志に「鬼谷、河南府告成縣の北五里に在り、卽ち六國の時、鬼谷先生の居るところ」とある。CI龍潭一統志に「龍潭は、登封縣東二十五里、當頂の東に在り、九潭相接し、その深さ測るなし」とあり、登封願志に「九龍潭は、太室東廢の山嶺に在り、水あり、流下し、激斷、潭を成し、盈坎して出で、復た一潭を作す、ともに九澤あり、遞に相灌輸し、水色洞黑、その深さ際なし、崖〓險峻、波濤意送王屋山人魏萬還王屋井序