李太白集卷十五暴激、登臨するもの、此に至れば、輒ち凛然として長を生ず。石あり、記す、人の龍潭に遊ぶものを戒め、語笑して以て龍神を讀す勿れ、紳怒れば雷恐あり」とある。CIT奔沫毛萇の詩傳に「津、水、會するなり」とあり、說文に「小水、大水に入るを泳といととある。【一三】汴河一統志に「汴河は、源、榮陽縣大周山に出で、東潦須廓の四水を合し、東南、中半廳に至り、北、黃河に入る」とある。CI新江卽ち錢塘江、錢糖縣志に「虞喜云ふ、潮水、浙江に投じ、下折して曲る、一に云ふ、江に反濤あり、水勢折歸、故に新江といふ。盧華曰く、浙は折なり、蓋し、その潮、海を出で、屈折して倒流するに取るなり、一名折河」とある。【一五】氾江岸。C15揮手手を以て指畫すること。CTU杭越杭は杭州餘杭郡をいふ、古時越國の西境たり。越は越州會稽郡をいふ、古時越國の都城たり。二郡、中に浙江を隔て、江の北を杭州となし、江の南を越州となす。【一八】修錢塘縣舊治の南五里に在つて、後に浙江亭といふ。[22海門西溪最詰に「新江の夾岸、山あり、南を龕といひ、北を諸といふ、二山相對し、これを海門といふ」とある。col耶溪卽ち若耶溪、前に見ゆ。CTI萬壑與千巖世說に「顧長康、會稽より選る、人、山川の美を同ふ、顧云ふ、千巖、秀を競ひ、萬壑、流を爭ひ、草木、その上に梨龍し、雪與り霞蔚するが若し」とある。【二三】鏡湖前に見ゆ。言刻卽ち刻溪、前に見ゆ。〓王許營書に「會稽に住山水あり、名士多く之に居る、孫綽、李充、許陶、支通等、皆文義を以て世に冠たり、竝に室を東土に築き、王義之と同好」とある。王許は、王義之と許詢。CIT曹娥碑、黃籍語太平寰宇記に「地志に云ふ、餘姚に孝女曹戴あり、父、濤に泝つて死す、娥、年十四、號痛して水に入り、因つて、父の屍を抱き、出でて死す。縣令度尙、生邯鄲子禮をして、碑文を爲らしむ。後に蔡邑過ぎて、碑を讀み、乃ち八字を題して曰く、黃絹幼婦、外孫臺曰と。魏武、かつて碑下を過ぎ、楊修に謂つて曰く、解するや否や。曰く、解す。魏武曰く、卿、未だ言ふべからず、我が之を思ふを待て、と。行くこと三十里、魏武乃ち曰く、吾、すでに得たり、と。修をして、別に知るところを記せしむ、修曰く、黃絹は色絲なり、字に於て絕たり。幼婦は少女なり、字に於て紗たり、外孫は女子なり、字に於て好たり。薑白は受辛なり、字に於て辭たり。謂はゆる絕妙好辭なり、と。魏武、亦た之を記す、修と同じ」とある。【二六】天台前に見ゆ。【二七】四明寧波府志に「四明山は天台より發し、郡治の坤隔に屹時す、上に二百八十峰あり、明越台三州の境に綿互す、三十六洞天の一たり」とある。【二八】國〓天台山志に「國清寺は、天台縣北十里に在り、舊名天台寺」となる。【二九】五峰府志に「その峰五あり、正北を八桂といひ、東北を靈禽といひ、東南を祥雲といひ、西南を靈芝といひ、西北を映霞といふ」とある。cot百里行松聲府志に「鑿字嚴は縣北三里に在り、巖上に萬松徑の三字あり、相傳ふ、昔時巖より國〓寺に至るまで、大松、列を成す、今無し」とある。CI靈溪天台山志に「縣北十五里福聖觀前に在り、今縣東三十里、亦た靈溪あり、蓋し其名適ま類するなり」とある。(ti沿越溪流に沿うて測る。【二三】華項峰名、山志に「華項峰は、縣の東北六十里にあり、乃ち天台八重の最高處、高さ一萬八千丈、周圍一百里、晴少くして晦多し、夏、積雪あり、中に黃金測あり石色光明、降魔塔に登つて、東、前海を望めば、淵漫際なく、望海尖と號す、日の出沒を見るべし、下、衆山を歐れば、龍虎蟠踞、旗鼓布列の狀の如く、草木薰郡、殆んど人世に非ず」とある。超忽遠き貌。Din石梁卽ち石橋、前に見ゆ。こいて側足石橋險狹、わづかに足を側てて行くべきをいふ。[to]半月石橋号環の狀に喩ふ。CIT永嘉題義の下に見ゆ。いく赤城前に見ゆ。【20】孤嘆浙江通志に「永嘉縣北を孤嶼山といふ、永寧江中に在り、東西兩峰相峙つ」とある。E.1 :11太平寰宇記に「處州蟠當縣に縉書山あり」とある。三一石門、瀑布題義の下に見ゆ。13空港濛は徹雨の貌。目惡溪元和郡縣志に「處州歴水縣に麗水あり、本と惡溪と名づく。その湍流組險なるを以て、九十里間、五十九瀨、名づけて大惡とい··開皇中、改めて慶水となす、皇朝、これに因つて縣名となす」とある。EZ七十灘諸書に五十九灘とあつて、その理由未詳。150李北海李白の自註に「李公邑、むかし、括州となり、この嶺路を開く」とあり、唐書の本傳に「開元二十三年、起つて、括州刺史となり、後、沿滑二州の刺史を經、京師に上計し、出でて汲郡北海太守となり、時に李北海と稱す」とある。【四七】諸康樂李白の自註に「惡溪に謝康樂題詩の處あり」とあり、方與勝覽に「謝公巖、亦た好溪の上に在り、亦た康樂巖と名づく」とある。【四八】梅花橋未詳。断江通志に「金華縣東、石碕巖、高さ十餘丈、俯して大溪を瞰る、巖下に測あり、梅花洞といひ、又梅花溪と名づく」とあるから、橋もいづれ其の邊であらう。127雙溪通志に「雙溪は、金華縣南に在り、一に東港といひ、一に南港といたる東港の源は、東陽の大盆山に出で、義鳥を過ぎ、業流を合し、西行、縣境に入り、又杭慈溪、白溪、東漢.西溪、坦溪、玉泉鍋)赤松溪の水を合せ、馬鋪嶺石碕巖下を經、南港と會す。南港の源は、縉書の黃碧山を出で、永康武義を過ぎて縣境に入り、又松送遂王屋山人魏萬還王屋井序