李太白集卷十五いつきょうのぼ=え込ふかうあれを訪はむとし、逸興騰つて、吳雲に滿たむとした。そして、不幸にして予に逢はざりしものから、ついでしょしよいうxせつかうきし, :) 5cmかうしうとてもの序に處處游覽しやうといふので、飄風として、浙江の岸を過ぎ、手を以て指晝しつつ、杭州せんたうげんふつさつくわんなみに至り、樟亭に上つて、名だたる錢塘の潮を見物した。これは、まことに壯觀であつて、濤は海門のじ:てんさい:二ハtheしやはし1石を卷くべく、雲は天際の山に橫はり、さながら、白馬に乘つて素車を走らすかと疑はれ、その勢の5しんがんためriskくわいけいさんするびと凄じきことは、雷の狂奔するが如く、心顏爲に駭くばかり。次に、會稽の山水の美を聞くや、是非これじやくやげいへんほんがくながれあしたがんをも見物しやうといふので、やがて、若耶溪邊に往つた。抑も、會稽の山水は、萬堅流を爭ひ、千巖1:5でんざんさうくわうきやうこひとそのかけひたしうれい秀を競ふといはれた位、羣山の峰〓たるは、名にしおふ鏡湖に齊しく其影を涵して居る。その秀麗なめいじやうこん:かうじやうなかみひとる風物は、到底、名狀すべからず、四山の積翠は、〓く輝いて、江城の中に滿ち、人は月邊に遊んでCふねこのあひだ去るかと怪まれ、舟は空中に在つて行くやうである。そこで、此間に久しく滯留して居たが、やがてえんけいたうねんわうぎきよじゆんひこいしやうわ雞潔に入つて、當年の王義之、許詢に比すべき名流を尋ねて、之と唱和し、かの曹娥の碑を讀んでは、しんちうしあんてんだいさん黃絹幼婦などいふ謎めいた語を心中に思案し、しばしは、去りがてにして居た。天台山は、四明山にPark志i 'しほつこくせいじむかほうつ連り、一帶の地域、殊に靈秀を以て知られる處で、夕陽西に沒する頃、國〓寺に向つて歩を移せば、층いただきげつしよくしつしつ:ね。溪山忽ち夜に入り、五峰の頂には、月色を轉じ、百里の間、松竝木ばかりで、瑟瑟たる松聲を耳にしおよびれいけかこさかのぼや을澁そびつつ、その間をたどつて行くと、靈溪は岸に沿うて湖るべく、華頂の山は、殊に遠くに聳えて居る。のにはんげつおやまそのはしわたそして、天然の石橋の靑天に橫はるを望み、やがて、巖を攀ぢて、半月の形を成す其橋を渡ると、如けんあしそばだたらふろけいおもしろいミ何にも危險であつて、おもはず足を側てる。それから、永嘉の風景が面白いと聞くと、今は一刻も、かいろしおおだこらへて居ることが出來ず、海路の遠きを厭はずして、舟を乘り出し、帆を挂けて海嶠を歷めぐつて·時に〓せきじやうざんくわいほうしだいま行く間、夕やけの間に隱見する赤城山を囘望すると、やがて、次第に見えなくなり、前には孤嶼と稱えいねいかうへうきみづはんこっづながじんこうていしやする山が、永寧江中に聳えて居る。そして、水は萬古の末までも續いて流れるが、人工に成れる亭樹ねんさいげつあひだあとかたしんうんげんぜんこくかんそは、千年の歲月を經ぬ間に、跡方もなく成つて仕舞つた。それから、縉雲縣は、川谷艱阻な處であるながもつと壁上たかほくとかかすゐけんたうていが、中にも、石門は、最も觀るべく、瀑布は高く北斗の處から挂つて居るやうで、その水源は、到底たんけんでひせきへきに〓し探險することが出來ず、飛沫は、石壁に吹きかかつて、白雪を灑ぐが如く、四邊は空濛の中に鎖され、:それから惡溪の方へ往かうと思ひ、おおそ晝ながら、寒氣を生ずる。惡溪といふ名は、如何にもいやらしく恐とんぢやくまんも:ろしく聞こえるが、そんなことには頓著せず、って愈よ住つて見る七十灘の水は、咆え哮つて、水せきたがひさうぜつくわいぜつたこちかほくかいはじ石互に噴薄し、その壯絕快絕なるは、譬へやうも無い位。このあたりの路は、近ごろ、李北海が始めしやかうらそのないはむかしおぼて創設したのであるが、謝廉樂が其名を留めた巖などもあつて、さすがに、昔なつかしく覺える。そけたさつきつ生uゑんせい&けしなは1,いくたの間、颯颯たる松風は、悲しげに叫ぶ猿聲に和し、極めて、幽邃な景色。そこを繩に縋つて、幾多のだいさうけいみづせつかう洞壑を次第に過ぎ行くと、梅花橋といふ處に出る。ここには、雙溪の水が、漸江の一派を爲して、歸;ッきんくわざんa : :潮を入れ、もとより舟楫を通じ、金華山の下に往つて帆を卸す。その金華は、黃初平の故蹟であつて、ぜんにん:かへしんやく1きんくわこの仙人は、なほ招き還すべきやうである。それから、沈約が詩を作つた八詠樓といふのが、金華の送送王屋山人魏萬還王屋井序六〇一