李太白集卷十五え要せざるに因つて、筆端、窘束するところなく、愈よ其勝を擅にして居る。この詩にも、ちよいちいまちよい異同があるが、卽十路創李北海、巖開謝廉樂を、一本には嶺路始北海、嚴詩題康樂に作り、?がん揚升菴は、この詩を引いて、遠尋惡溪去、不憚惡溪惡、途傳李北海、灘聞謝廉樂に作り、巖の字をはげいしゆつサイトき以て誤として居るが、矢張、本文に揭出したのが一番善いやうである。それから、李白の此詩に對rき恣居として、魏萬の和作があるので、それは、金陵酬輪林謫仙子」と題し、卽ち左の通りである。君抱碧海珠。我懷藍田玉。各稱希代寶。萬里遙相燭。長卿慕蘭久。子猷意己深。平生風雲人。暗合江海心。去秋忽乘興。命駕來東土。謫仙遊梁園。愛子在 〓〓。二處一不見。拂衣向江東〇五兩挂 淮月。扁舟隨海風。南遊吳越徧。高揖二千石。雪上天台山。春逢翰林伯。宣父敬項棄林宗重黃生。一長復一少。相看如弟兄。惕然意不盡。更遂西南去。同舟入秦淮。建業龍蟠處。楚歌對吳酒。借問承恩初。宮買長門賦。天迎驅馬車。才高世難容。道廢可推命。安石重播妓。子房空謝病。金陵百萬戶。六代帝王都。虎石踞西江。鍾山臨北湖。湖山信爲美。王屋人相待。應爲歧路多。不知歳寒在。君遊早晩還。勿久風塵間。此別未遠別。秋期到仙山。上し:これを本詩と同じく解釋すると善いが、大に紙數を增加するから、止むを得ず、ここには見合せる。へいくわんもかうじやうおよたうじだいわか輕〓しかし、兩詩を併觀すると、二人の交情及び當時行旅の次第などが、すつかり分るから、決して、ま輕しく看過してはならぬ。てうぜうちやうろcop豈送當塗趙少府赴長蘆當塗趙少府の長蘆に赴くを送る6€i建客を送つて輕前を囘す。我來揚都市。送客囘輕知。我は揚都の市に來り、(三)五百因誇楚太子。便観廣陵濤。因つて楚の太子に誇り、便ち廣陵の濤を観る。@仙尉趙家玉。英風凌四豪。rコLu仙尉、超家の玉、英風、四豪を凌ぐ。古維舟至長蘆。目送煙雲高。たか舟を維いで長蘆に至り、目送す煙雲の高きを。6 F搖扇對酒樓。持袂把蟹螯。な扇を搖かして酒樓に對し、袂を持して蟹螯を把る。も屋をちやうえう前途儘相思。登嶽一長謠。前途儘し相思はば、登嶽一長謠せよ。【字解】S揭部卽ち揚州。S輕剝廣額に「船は小船なり」とある。30便報廣陵濤枚乘の七發に「楚の太子、疾あり、吳客、往いて之を問ふ。客曰く、將に八月の望を以て、諸侯遠方の交遊兄弟と竝に往き、濤を廣陵の曲江に觀むとす」とある。E仙尉陶弘景の痙鶴銘に「丹陽の仙尉、江陰の眞宰」とある。漢の梅福、南昌の尉となり、人傳へて以て仙去と爲す。尉を稱して仙尉といふは、これに本づく。E四豪信陵、平原、孟嘗、春申、戰國の末、客を好んだ人人達をいふ。把蟹整世說に「畢茂世云ふ、一手に蟹整を持し、一手に酒杯を持し、酒池の中に拍遊すれば、便ち一生を了るに足る」とある。G長諸王琦の解に「趙最前の精茂齊に與ふる書に、むかし、李叟、秦に入り、關に及びて嘆じ、藥生、越に適さ、岳に登つて長議す。夫れ墓通の擧を以て、猶ほ戀恨を愉く、況んや、巳むを得ざるものをや。李善の註、老子の嘆、秦に入るが爲ならず、梁鴻の長諸、前に適くに由らず、且つ復た郊に至るを以て關に及ぶとなし、郎に升るを岳に登ると爲す、斯れ、蓋し、意を取つて文を略するなり、太白、送送當塗趙少府赴長蘆