李太集卷十五我、もとより是れ老奴の玉鏡產なるを疑ふ、と。これ、公が劉越石の長史となり、北、劉聰を征して得るところ」とある。3坦腹、東牀王義之の故事、前に見ゆ。三郷果世說註に「語林に曰く、潘安仁、至つて美、行く每に、老嫗、果を以て之に擲ち、車に滿つ」とある。こけつこん崔氏と結婚する爲に、こけつこんみち【題義】この詩は、從弟の李凝といふものが、崔氏と結婚する爲に、滌州に之くのを送つたので、唐なんだう時の滁州は、淮南道に屬して居た。:せいらいじやうふかテ【詩意】汝も亦た生來情の深い者である。そこで、今度は、旅行の爲の旅行ではなく、全く婚娶の爲1ぜんやをんげうはCOSに出かけるので、魚を得れば、もとより筌を忘れても善い。むかし、溫嶠は、玉鏡臺一枚を以て、望〓むすめ:はうきやうわざわざの通り、從姑の女を娶つたといふが、汝も亦た玉臺に寶鏡を挂け、態態それを持つて往つて、どうしいわうぎ: :とにう太やうと思つて居るのか。それから、王羲之は、坦腹して、東牀の下に臥し、志氣疎放なる處から、たと2尉都鑒に見立てられて、その女を要つたといふが、汝の人物を以てすれば、先方でも、屹度これを鑒%だ一と海;識して、容易に話が運ぶであらう。但し、これより往く先先、かの潘岳の如く、老婆までが、その容:灣늘か貌の美なるに看ほれて、果を擲つて車に盈つることもあらうが、そんな事には、頓著せず、早く、彼の地に往くが善からう。かうhあんしやをんけう【餘論】起二句は、この行、婚要を主とすることを暗寫し、三四の二句は、溫嶠の故事で、此方よりFヒられた1 ii意あることを言ひ、五六の二句は、王義之の故事で、先方より話を進ませるといふことを言ひ、表裏み滌州に之くのを送つたので、ち唐a차で相得て、この行の目的が容易に遂げられるといふ、極めて御目出たい結構である。七八二句は、聊か화謔意を帶びて、その餘波としたのである。大體、あつさりして居る割合に、故事の運旋が面白く、〇き寸氣が利いた作である。いうじんreれ送友人遊梅湖友人の梅湖に遊ぶを送るまみ送君遊梅湖。應見梅花發。お:はいくわ담君が梅湖に遊ぶを送る。應に梅花の發くを見るなるべし。有使寄我來。無令紅芳歇。2018使あり、我に寄せて來る、紅芳をして歌ましむる無かれ。hit〃さだ暫行新林浦.定醉金陵月. 3暫く行く新林浦、定めて醉はむ金陵の月。(三)目だ노もおんぢん号莫惜一雁書。音塵坐胡越。一雁の書を惜んで、音塵、胡越に坐せしむる莫れ。【字解】【一】有使寄我來太平御覽に「〓州記に曰く、陸凱、范暉と友とし善し、江南より梅花一枝を寄せ、長安に詣らしめて譚に與へ、井せて詩を贈つて曰く、折梅逢驛使、寄與醜頭人、江南無所有、聊罰一枝春」とある。【三】新林浦胡三省の通鑑註「新林浦は、今の建康城を去る二十里、西、白鷺洲に値る」とある。S一雁書王琦の解に「詩人、腫書を用ふ、悉く漢書蘇武傳中旬奴を誑くの事を用ふ、實に其事あるに非ざるなり」とある。胡越胡は北に在り、越は南に在り、以て間隔して相聞せざるの意に喰ふ。かいL ;ばいこはこ【題義]王琦の解に「初學記、始與に梅湖あり。北堂書鈔に、地里志に云ふ、梅湖は、むかし梅筏あ送送友人遊梅湖六一一L ;ばいこ始與に梅湖あり。はこ梅湖は、六一一北堂書鈔に、地里志に云ふ、むかし梅筏あ