李太白集卷十五らしいロサ一なり」とある。それから、此詩の起首に黃山四千仞、三十二蓮峰とあるが、それに就いても、王琦せつなくわうぎんしさいなんしょざんくわうざんこたかにあんくわうざんしょほうもつと最は說を爲し「黃山志、江以南の諸山、黃山を最とす、その高さ四千仞と。按ずるに、黃山の諸峰、も高きもの、志に九百仞と稱す、ましじんしよう四千仞とは、じん大抵山麓の平地よりして、之を淮擬す。たいていさんろくFS元じゆんずしょしよみない諸書皆言ふ、くわう黃xみね밥灣はくしたらけだ明たういぜんいまな山の峰三十有六と。而して、白の詩、只だ三十有二といふ。蓋し四峰は唐以前未だ名あらざるなり」くわうぎんはくがほうきりきよかへただ논たつれきじんしをんしよし溫處士が黃山なる白鷄峰の富居に歸るのを送つたのである。とある。この詩は、但し、處士の関歷人ふつとうじ둘さいわか物等は、例の如く、一切分らぬ。くわうざんなんゆうめいざんfたかじんたん(5)たけ【詩意】黃山は、南方の名山であつて、平地より高きこと四千仞、そして、その山彙中には、蓮花のたちにみねおほさんくらゐせきしよくだんがいせきちう:はすinteむらがあひだこんじき形せる峰が、三十二の多きを算する位。赤色の断屋は、石柱を夾み、として、連の荅の族る間から、金色ふよういやう上そのぜつちやうのぼした15てんもくずんちやうまつの芙蓉が咲き出でた樣に見える。予も、かつて其絕頂に登つたが、はるか下の方に天目山頂の松が、ふきうこうせんたんねところげんぜんそんうくわしようてんな륜ちらほら見えた。そして、浮邱公が仙丹を鍊つた處は、儼然として存し、その羽化昇天せし名殘を留あはくわいこおもひしやうをんしよし달モ=よこうめ、併せて、懐古の想を生ぜしめる。溫處士は、獨りで其處へ往かうといふので、予は、ここで、其がくしすこいはほんちょうけんひと人に遇つた。聞けば、五嶽に分けズつて、芝草を採り、巖を攀ぢて萬重の陰を歷めぐつたといふが、こたと今度は、Ryu白鵝峰下の舊居に歸休するとのことで、ほうかきうきよま渴しては、かつしゆさ殊砂を吹き出す彼の霊泉を飮み、小だかれいせん心のどこころかに、せんじゆつ仙術の修行をすることであらう。しゆぎやう予は、しやう笙を吹いて風吹を學び、+ほうするまな時時その地に往くこともあらときどきめいせんきよころしようりようやうさんちういあたたうんしやまいんよこころみ古しへの子明が仙去した處と稱する陵陽山中に入しうから、汝は、雲車を用意して置くが善い。試に、はうけいくさむらところちくけいりうくつきよくとせふり、行く行く芳桂の叢をなせる處を過ぎ行くと、一道の溪流、しきりに屈曲し、これを徒涉すること十六〓くあーへきしやうぞくぞくぜんせいくうらぜつきうぜつふうけい仰ぎ見れば、碧嶂は、簇簇然として、晴空に羅列し、まことに奇絕壯絕の風景を見ることがでたじつまととところ〓すなてんけうandきやくか出來る。そこで、他日、君を訪うた時には、これ等の處を行き過ぎて、名だたる天橋に上り、脚下にさいこうかうせう彩虹を躡んで浩嘯しやう。どうか、その積りで、待つて居て吳れろ。くわうぎんがいけい:そういうをんしよし【餘論】起四句は黄山の〓景、伊昔昇絕頂の四句は、李白の曾遊、亦聞溫伯雪の六句は、溫處士の歸:たじつさうはうへけつこうきんけん훌休、風吹我時來の八句は、他日の相訪を約したので、結構緊健にして、よく纏まつて居る。かういふ題はきいムよごあひだおいsぜんせつえしぜんせんき화目は、李白の得意とするところで、不用意の間に於ても、筆致の雋絕を得、自然仙氣を帶びて居る。5cてうそうとうへいたく方士超更の東平に之くを送るちやうさうばんどうしきぜんぎう長桑晩に洞視、五藏に全牛なし。てうそうひ30あいし〓あそ趙叟、祕訣を得、還た方士に從つて遊ぶ。酉くわくりんだいすためこうきうpe獲麟臺を過ぎなば、我が爲に孔丘を弔へ。にさんぜん別を念ひ復た古しへを懷へば、おむななんだなが潸然として空しく涙流る。史記に「扁鶴、少時、人の舍長たり。會客長桑君過ぐ、局鶴、六二一送方士趙叟之東平(一) (三)長桑晩洞視.五藏無全牛。趙叟得祕訣。還從方士遊.西過獲麟臺。爲我弔孔丘。念別復懷古。潜然空淚流.【字解】【一】長桑隱者で扁韻に方を授けた人。送送方士趙叟之東平ひとり之を奇と