李太白集卷十五五粒の琴を彈じ、南風の詩を歌うて、天下治まる」とある。〓衰晃偏禮に「天子は衰晃、斧依を負ふ」とあり、左傳に我是献理とあつて、杜預の註に「褒は畫衣なり、晃は冠なり」孔穎達の正義に「畫衣とは、龍を衣に畫くを謂ふなり」毛萇詩傳に「褒晃は君の上服なり」とある。3櫻善公卿に同じ。山苜落爾底左思の詠史に鬱鬱爾底松、離離山上苗とあつて、以て世胃、高位を脈み、英俊、下僚に沈むの意を異起す、そして、太白は之を反用して、以て才器に因つて、高下各〓その宜しきを得せしむべきに喩へたのである。【七】球琳淮南子に「西北方の美なるもの、崑崙の球琳琅玕あり」とあつて、高誘の註に「球非琅玕は皆美玉なり」とある。〓流水呂氏春秋に「伯牙琴を鼓し、鍾子期、これを聴く。志、流水に在り。子期曰く、善いかな、琴を鼓する、湯湯乎として流水の若し」とある。돈鄭曲史記に「鄰膏の曲、動いて心淫」とある。CO1彈冠漢書に「王吉、貢禹と友たり、世に稱す、王陽位に在れば、貫禹冠を彈すと。その取舎同じきを言ふなり」とある。CI白駒毛萇の詩傳に「白駒は、大夫、宜王を刺るなり。宣王の末、賢を用ふる能はず、賢人、白駒に乗じて去るものあり。その末章に云ふ、峽峽白駒、在彼谷谷、生芻一東、其人如玉、金玉爾普、而有〓心心とある。cit山吏部管書に「山濤、吏部尙書となり、前後選擧、內外に周編して、竝に其才を得たり。濤の奏するところ、人物を頸拔して、各題目と爲す、時に山公の啓事と稱す」とある。(tit)陸沈莊子に「是れ陸沈する者なり」とあつて、郭象の註に「人中の隱者、水なくして沈むに譬ふるなり」とある。しけんゐやうぼうせんぎじやうきやうれせん=そのしよくた政【題義】この詩は、縣尉魯某が還に赴いて上京するのを送つたので、選とは、能く其職に任へて、たらみやこのたくわんしよくえいせん績彰著なる處から、これを選んで都に上せ、そして、他の官職に榮遷せしめることである。たいこくせんかうしよくいたひたるissじゆんべいつ【詩意】大國には銓衝の職があつて、偏頗なく、天地の心に準平せしむることを務め、すべて、そのくわんかなとうようぐんけんかんねいぜうじんかんべつせいしん官に稱ふものは、どしどしと登庸する。かくて、羣賢の中には奸佞の小人なく、その鑑別も、〓深をことぐしゆん굴なんぶうし:名甘だくらんせんぼくはうこん古しへの虞舜の如く、極め、決して、濁亂淺薄のものではない。方今の天子は、南風の詩を歌うて、政てんかおのづかhatそわいくわんべんめいおんときたひらしおほ天下自ら治まり、畫衣冠冕を召して、鳴琴を聞いて居られる。かくて、時平かにして、美才の士多く、けいこくこうけいSipいくわんふそむさんべう퇴かんていあ京國には、公卿を會して、さすがに、衣冠の府たるに負かない。もとより、山苗は落ちて潤底に在るいうしようかうしん〓君よろかな時んて、幽松は高岑の上に植ゑらるべきもので、才器に從つて、高下、その宜しきに稱ふべき筈であやうくんせいさいまじやうしせんきよあつぼれびぎよくちんせき''る。楊君は、盛才あるが故に、上司は、これを選擧し、天晴の美玉に比して、珍惜して措かず。かのRyだんミてい急いいんわいかんしも놓ひ伯牙の彈じたる流水の曲は、鄭衞淫猥の音ではなく、子期に非ざれば、これを賞する人もないが、:さいはひちいん날こんじせん: =でしたいも君は、幸に知音の人に遇つて、今次選に赴くので、まことに、御目出たいことである。かの仕立屋がた달おとたえだたんせ上た錦繡綺羅を裁つときに、一たび誤つて裁ち損ひをすれば、千金を臺なしにするので、刀尺の餘の裁ちいかほんしつたふとかんちよやなじんさいせんきよ屑では、如何に本質が尊くても、寒女の夜具にさへ成らない。これにつけても、人材を選擧するといらい둘またせんあたつた以上は、いよいつとこうめいふうふのも、容易な事ではなく、又選に當愈よ勉めねばならない。われは、固より、功名富ち〓いかりつしんかんむりだんあひけい:わかれ貴に意なく、知人が如何に立身した處で、冠を彈じて相慶するといふ樣なことはないが、ここに別をなこ六りrこころおふんいやけんた爲すに際し、襟を開いて、心に思ふことを十分に述べるのである。今しも、野に遺賢なく、從つて、ひとけんじんぎんひつえうげんす÷s :o白駒で空谷に乘り込むやうな人を見ざれば、賢人も悲吟する必要がない。世間に棄てられた不過の者だいだう1:せうじん는さんたうth :とうよう古しへの山滿も大道に安んじ、やがて、時が來れば、招尋される。君を登庸した主司は、さながら、inひとをみづしづいUいんとんなはずさいかんの如く、かういふ人が居れば、水なくして沈む樣に、無理に隱遞するものも無い筈である。君の才幹せいせいこんごいよいごを以て、この盛世に遇つたのであるから、今後愈よ務めねばなるまい。送送楊少府赴還