李太白集卷十五かつていげうほうねんせいしようあひだ=じげんぜんそん君の行を送ま【詩意】帝堯崩じて、すでに三千年、靑松の間に古廟が儼然として存して居る。ここに、あけいしゆ홍?でんないまひ:しゆくぼくさうちようようしんこん호る爲に、桂酒を薦め、次に、殿內に舞を奏するを見ると、肅穆莊重の容、まことに心魂を〓うするばにつしよくゆふ도;ごと上しか忘はうそんかりである。やがて、日色夕ならむとして、歸人を促すが如く、仍つて頻りに離歌を唱へて、芳樽をたふとかたらうまいただすあちうたきみあわ:のなてわか倒した。兎角する内に、馬が嘶いたから、ともに醉中より起ち、君は違てて馬に上り、愈よ手を分つなあんぜんinありさまに際しては、黯然として言葉なき有樣である。げんほっまげんながたげんさっちろこれむすり「別情抗壯、【餘論】嚴滄浪は、之を評して言なからむと欲するも、更に言を爲し難し」といつた。まげんながた更に言を爲し難し」といつた。魯郡堯祠。送竇明府薄華還西京ろxげうしとうめい二はくくわせいけいだおく魯郡の堯祠に寶明府薄華の西京に還るを送るあした,び:むちう朝に犁眉の關に策ち、【字解】【一】單層驕十六國春富ちからた秋に「姚嚢、乗するところの駿馬を鞭を擧げて力堪へず。藍眉驕といふ、日に行くこと千里」レしうしつたすいづれたらg强ひて愁疾を扶けて、何の處にか向ふ。とあり、說文に「騙は黃馬黒喙なり、かくきんび六げうしみなみ雜は黒なり」とあるから、犂眉騒と堯祠南。角巾微服、堯祠の南。いへば、黄馬にして黑眉なるもの、ちやうやうは長楊、地を掃うて日を見ず。古しへ翠と黨と通用した。【二】朝策犁眉關。擧鞭力不堪。强扶愁疾向何處。角巾微服堯祠南。G長楊掃地不見日.いづれたらg何の處にか向ふ。なきんさたしせきちんふ石門噴作金沙潭。石門噴いて作る金沙の潭。またたこじんぜつきやうさ笑誇故人指絕境。笑つて誇る、故人の絕境を指すを、色靑於藍。さんくわうすゐしよく:あを山光水山光水色、藍よりも靑し。べうちうわうわう:廟中往往來擊鼓。廟中、往往、來つて鼓を擊つ、げうひしんたんとなんむし堯本無心爾何苦。堯、本と無心、爾.何ぞ苦む。もんぜんちやうきさうせきじん門前長跪雙石人.門前長脆す、雙石人、호迭た,有女如花日歌舞。女あり、花の如く、日に歌舞す。銀鞍繡〓往復廻.ぎんあんしうこく〓は銀較〓穀、往いて復た廻り、슝(1)ふうらいな株をteいし簸林蹶石鳴風雷。簸ひ、石に蹶いて、風雷を鳴らす。三んえんくうする$めいめつ遠煙空翠時明滅。遠煙空翠、時に明滅、はくおうれきらんなか:白鷗歷亂長飛雪。白鷗歷亂、長く雪を飛ばす。こうでいていしせきらんかん紅泥亭子赤欄干。紅泥の亭子赤欄干、へきりうくわんてんせいきんたん碧流環轉靑錦湍.碧流環轉す靑錦満。送魯郡覺祠送實明府薄華還西京巾·胡三省の遺鑑註に「輻巾は、橫輻を以て之を爲す。角巾は巾の角なおもの、郭林宗、雨に遇うて、巾の一角熟す。卽ち角巾」とある。【三】長楊掃地梁の情文帝の詩に長楊搭地桃花飛とある。E青於藍萄子に「青は藍より出でて、藍より青し」とある。3銀稜縮於王勃の詩に銀鞍續戰盛繁華とある。8簸林斷石西京賦に蕩川濱、簇林ととつつと、李周輪の註に「蕩簸は、搖動を謂ふ」とあり、張協の七命に顯林厭石、扣拔幽靈とあ??李善の註に「脈は動搖の貌」とある。CE縣球澤水洛陽倫藍記に「眼儀寺に池あり、京師の學徒、これを翟泉といふ、後、際士趙逸云ふこの地、是れ晉の侍中石崇の家池、池南に緣球樓ありと。ここに於六三五