李太白集第十五:きっ순かうりようせわたませきすう海の底にも通ずるかと怪まれ、そこには、蛟龍が潜んで、蠕まつて居るかも知れない。むかし、石崇とうかいながあたりよくしゆたんその水は、がうくわほ恣늘まが豪華をにした時、この宅の邊には、綠珠潭といふがあつて、東海に流れて居たが、ちょうあいりよくしゆわぎはひとなこうふんよそほひくわうさいいますしづaなやがて寵愛の綠珠は、禍の本を爲し、紅粉の妝も、いつしか消え、光彩は水に沈んで、見えなく成おなりよくしゆなくれんろうしたustみだゑんちうaこんにちり、同じく綠珠てふ名を冠した樓の下には、花咲き亂れて、園中に滿ちて居たが、それも今日では、ようくわひさ를かげたAしゐこの通一枝も殘つて居ない。容華久しく駐まらず、はては、見る影も無いやうになるのは、すべて、とうあさくやしうせいさつぜんてんもん二천どうていこじやうもくえよみだ회さうじんひり。時しも秋で、昨夜秋聲颯然として天門より吹き起れば、洞庭湖上、木葉亂れ落ちて、騷人は、悲じやうせうねんはいにん동たかGゑんほううつくわいただちさん哀の情に堪へない。たそこで、少年輩を三人五人引き具し、高きに登つて遠望すれば、鬱懷直に散じせいぜんせうふけいしんEおほきうていた品ふゆて、形神ともに開くを覺える。九鼎の尊きも、物の數ではなく、生前には一笑に付し去るが善いので、〃ていくめいゐげんれんりんじうさいどうじやくだい魏の武帝など、區區として、名位に春戀して居たから、臨終の際も、銅雀臺が氣にかかつて居たのではくうんたフ:よみたんそのこゑたて=ある。われは、今、白雲に對して歌ひつつ、窓に倚つて居るので、汝は、其聲を聞いて、唯だ手を揮ちやうふうさつぜん,よひ〓ふかいじやうまたへば善い。眺めやれば、長風颯然月を吹いて海上より來り、まことに、この上もない好い景色であBishせんにん上···にgばすおんさけなかかくこゑまさたけなはるから、遙に仙人を呼び下して、一杯の酒を勸めやうと思ふ。かくて、酒半ばに、樂の聲方に酣にしよなかちかいうしやうくわうせんむかこのほこらさいしんいにていげうまて、すでに夜中に近きをも意とせず、羽觴を擧げ、黃泉に向つて、此祠の祭神たる古しへの帝堯に酒これげうこんぼくいましくらあ홈熱はたを勸めるが、は、果して之を聞くであらうか。もし堯の魂魄、未だ死せずして、これを聞く位ならかうえうめいときよくわうぜつたちせいてんえ3ば、皐陶に命じ、ははきを執つて、八極を橫絕し、直に靑天に上つて、浮雲を掃ひ盡し、かの月をしとあきらこわきようそよな〓ま行て、長しへに明かならしめ、以て我が興を添へたら善いのであるが、さうも成らぬを見ると、堯の魂いといわかさんかんかうやう上もじやうおいつういん魄は、何處へ往つたか分らないのであらう。むかし、山簡は、高陽なる習家の池上に於て痛飮したとこさんこう上こちこんにちしゆきようほしいまいふが、それは、まことに瑣瑣たる事で、山公が醉ひつぶれたといつた處で、今日わが酒興を縱にすたうていおよちくりんけんしやうがいはふうりうはうたん恣いどこいしるのには、到底及ぶまい。竹林の七賢は、風流放誕の生涯をにしたが、今は何處へ往つて仕舞つ;しらんていしうけいゆうひつ5つそのじょワチ늘03たか、王義之は、蘭亭に修禊し、雄筆を以て其序を書いて、千古に傳へて居るが、そんな事は、決したて釋るに足らぬ第たはんれい=최古しへ范盡が卅を泛べて2ことである。ここに、堯祠に立つて、はるかに五湖を思ひ、とわらこんにちに:せうするほすはなのこ:遠く去つたことを笑ふので、今日、湖中には、憔悴したる運の花が殘つて居るばかり、まことに、寂れつありさまたんとせいしんさいとうゑつむかえいしうせんにん2寥の有樣であらう。ここに、汝が西秦に往くに際し、われは東越に向ひ、しばらく、瀛洲に仙人の金B考れもんこちんでんたいはくめいざんばんまたっ關を尋ねやうと思ふ。汝すでに去りし後、藍田だの、太白だのいふ名山が氣に入つて、仙を學ぶに都がふ上した。たいせめんげつかさうぢそのち予が爲に、:合が善いと知つたならば、大石の面を月下に掃除して、いづれ其地に往くのを待つて居て貰ひたい。しゆいたらげうしふうけい【餘論】起首より那知不有"鼓龍蟠」に至るまでは、專ら堯祠の風景を述べ、君不見綠珠潭水流東いたせいえいぐわけつおたビいかもつゆ:海より魏武何悲銅雀臺に至るまでは、浮生の榮華、決して特むに足らざることを敍し、以下專ら送べつこおよせんおんへうべううきよところおもしろゑんじゆく別の正意に及び、仙音線緲として、浮世ばなれのして居る處は、まことに面白く、いくらか圓熟せぬところはくしゆひつだんちらし處もあるが、李白の手筆たることは、斷じて爭はれない。送管郡堯祠送醫明府薄華還西京