李太白集卷十五己士を好まざる世の中に於て遂に用ひしこなかつひとびとわら君今とに詰らぬことだといつて、その人人を笑つて居る。も、すんげんかうむおだかくべつはちなすたたられず、はては、讒言を被つて追ひ出されたからといつて、格別恥にも成らないから、素直に此を立:たいうよものいしぜんしたこみちなたうりち去りて、くどくどしく騒ぎ立てぬ方が善いので、物言はずして、自然その下に蹊を成すといふ桃李1·5ほかへり;ちうしんろinちはへうぼの樣に、臭床かしく有つて欲しい。顧みれば、この沙丘を中心とせる魯國を尋ね廻つたとて、漂母の봉발〓わうそん:追いたはんあたやうやうな俠氣ある人もなく、從つて、王孫の窮を憐んで、これに飯を與へるといふ樣なこともないから、だんきうれんたらたたい はうよこの地は、斷じて、久戀の地に非ず、さつさと立ち去つて、他國に往つた方が善い。けだじんしあひれきげんわうきれんおちいが蓋し古人士を好むの美を歷言【餘論】王琦は、この篇を評して「田家養老馬より以下十四句は、りんああねかぶんまたせつも倫類に非ざるに似たり。し、しかも雜ふるに春申一何愚、列首爲李園を以てす、下文又接するに賢哉のぼぼくちむ忽ちにして雪嶺に登る。うんねんたと李家の娘子、か四公子云云を以てす、これを譬ふれば、わづかに墨池に入り、たいはくとunべんたてしつしよしにしかすうくPBRこくはくぶんめい太白斗酒百篇、筆に任かせて疾書し、疵類なくんばあらず、然れども、數句の間、黑白分明ならずしいただしけつぶんあらくわひつけだうたがひこて、此に至るべからず。苟くも、缺文に非ざれば、訛筆たること、蓋し疑なし」といつたが、極めててきかくせつたうしゆんしんくん.ふあは的確切當である。すでに、春申君を一何愚といひ、その次に之をも併せて賢哉四公子といつたのは、ひとこためむじゆんはなはだ16わか今の人が士を好まぬ爲に止むを得ず矛盾も亦た甚しく、まことに譯の分らぬことである。それから、おおしだざんかうむつうせつげきれつ둘此を去るといふのは、穩かであるが、題には、讒を被つて去るとあつて、もそつと、痛切激烈な事がはやはじぜんそうてき또いみつよrなところ士の不遇を言つて居たので、に言つて無くてはならぬ筈である。初めの處では、漸層的に愈よ意味が强にんCくなるべき筈であるのに、一轉して、まが合はなく成つて仕舞つたのである。최고士を用ふる功に及んだものだから、なん何となく、ぬつじつま間が拔けて辻德單父東樓、秋夜.送族弟沈之秦ぜんほとうろうちぞくていしん單父の東樓にて、秋夜、なんぢかんやうきた爾從咸陽來.爾、咸陽より來り、われとなにちうく問我何勞苦.我に問ふ、何をか勞苦すると。沐猴而冠不足言。もくこうちんいた沐猴にして冠するは、言ふに足らず。二と:とうろたい身騎土牛滯東魯。身は土牛に騎して、東魯に滯す。しんていほつぎょうてい〓沈弟欲行凝弟留。沈弟は行かむと欲し、凝弟は留まる。がんしんうん:孤飛一雁秦雲秋。孤飛一雁、秦雲の秋。たいくわうえふお坐來黃葉落四五。坐來、黃葉落つる四五。ほくとかかせいじやうろう北斗己挂西城樓。北斗すでに挂る西城の樓。送單父東樓秋夜送族第沈之秦ぞくていしんえんれ、族弟沈の秦に之くを送る【字解】E沐朕面冠史記に「說者曰く、人は曰ふ、楚人は沐族にして冠するのみ」とあつて、張晏の解に「沐験は〓〓なり。漢書に、藝太子以爲へらく、漢廷の公縮列侯、皆沐猴にして冠するが如きのみ。その衣冠を著くと雖も、但だ徽に人形に似て、他の才能なきを言ふなり」とある。S土牛周奉が鐘靜に答へて「硼族、土牛に騎する、何ぞ週きや」といふに本づき、すでに前に見ゆ。【三】絲桐感人王条の請六四九