李太白 集卷十五もせいかうとういんよちやうかtips西行有東音。寄與長河流.西行、東音あり、寄與す長河の流【字解】E原野淮南子に「原野を周視す」とあつて、高誘の註に「廣平を原といひ、郊外を野といふ」とある。3盤遊書の五子之歌に盤游無度とあつて、孔安國の傳に「盤樂避逸なり」とある。3禽荒同じく五子之歌に外作ニ禽荒とあつて、を狩することに耽ること。微聲鮑照の詩に選色福齊岱一黴聲〓「越越とあつて、徵聲は悲しい調子。【五】齊語說文に「謹は齊歌」とある。E漆溝魏書に「東平縣范縣に漆溝あり」山東通志に「單縣東門外に漆河あり、源、汴水に出づ、管時、開くところ。北、濟河に抵り、南徐沛に題ず。元以後、漸く湮み、惟だ下流沛に入るもの、わづかに水道を存す」とある。3東音呂氏春秋に「夏后氏孔甲、破斧の歌を作る、實に始めて東音たり」とある。ぞくていぎようてんみしん3にちやうあんおもむ좋ひとぜん【題義】族弟凝は、前詩にも見えて居たので、李沈が先つて長安に赴きし時、この人だけは、なほ單. Byおこかへをこれ를そして、李白は、父に留まつて居たが、やがて、相繼いで都に歸つたものと見える。特に之を送つて、もんとところいぜんはへだたたちじゃぜんは2晏增といふ處まで往つたので、そこは、單父から三十里距つた處である。この題は、單父の上に、どだつじああんことこわかにつうやら脫字が有るらしい。しかし、晏堌は何處か、その地理は、よく分らない。そして、その時は雪ごしゆれふなべつじよそうべつた눈れChi後で、狩獵を爲し、そこで、別を敍したものと見えるが、ひよつとすると、送別の爲め、特に獵を催ししたものかも知れない。おほゆきげんやふ:からこ$ ,ま盤【詩意】大雪が降つて、原野一白、まことに、狩には持つて來いといふ時であるから、武裝して、いためで考ふるしじょえうしよはいちじぶんかうきううへうま遊の爲に出かけた。かくて、鞭を揮つて指揮しつつ、獵騎を要處に配置し、自分は、高丘の上に馬をころみ)かだ止;あひだ:ださうまういきほひたひら立てて、試に四顧した。すると、兎は狩り出されて、馬足の間に跳り出し、蒼鷹は、勢こんで、平かはたち: 1たは:たゆしろchな畑地に下り、そして、勢子どもは騒き立てて馳せ廻り、まことに、この上もない樂で、區區たる人でからはすなはきんくわう〃げんとげんわけげ間の憂を消すことが出來る。しかし、狩に耽るのは、卽ち禽荒といふものであるから、いい加減の處こんむしえんじやうごのせいこニとそうべついで切り上げて之を戒め、そして、宴上には、徵聲を以てせる齊國の歌を唱へ、いささか、送別の意をだ:まみやうてう즉なたたしゆつはつ友を失こと寓した。君は、明朝、鷄の鳴くのを聞いて、この晏埋から出發されるであらうが、へる雁のじらいこうちらみにかよところおむら三いたさうゐ驚飛して泳溝の邊を過ぐるを見れば、おのが身に似通つて居る處から、必ず心を傷ましめるに相違なおんそちやうかニティたみちこの東方の音を耳にしたならば、§まいもい。それから、西に行く途すがら、わが特に意を用ひて、長河の流ょたいまた굴六だこに寄せた爲であるとして、又わが事を思ひ出して貰ひたい。ぜんしゆれくわうけいてんそうべついまっくこいっおほ【餘論】前八句は狩獵の光景、一轉して送別に入り、末句は殊に意の盡きざるを覺える。魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽ろじやうほくくわくよくえうBriganismちやうしすうやうごおく魯城北郭曲 腰の桑下に、張子の嵩陽に還るを送る(一)わかれおくこ:てうえふはんくう회送別枯桑下。凋葉落半空。別を送る枯桑の下、凋葉、半空に落つ。かっ:詣佐々ひとてんぷうし我行憎道遠。爾獨知天風。我が行、道の遠きに憎し、爾.獨り天風を知る。こたれおちやうちううつまよおつほう誰念張仲蔚。還依蒿與蓬誰か念はむ張仲蔚、還た依る蒿と蓬と。送替城北郭曲腰桑下送張子置當腸六五五六五五