李太白集卷十六るおきみやげミえことだから、まことに目出たい。その上、君は予が窮迫を憐み、置土產として、魯國に產する白絹をた§:둘かや贈られたが、その絹は、如何にも精緻を極めて、さながら白煙の如く、五匹では數こそ揃はぬが、ま는ミ철せいもんとことに、大したもので、一尺ごとに、誠心が籠つて、その德は、山岳よりも重い。むかし、齊の晏子おくin :) us〓いと人の行を贈るには、の云つた通り、言葉を以てするのが第一であるから、予はここに、晏子に倣うて、こ心ほう33 1はなおけするに言を以てしやうとふ。"君に餞もし木蔭に身を寄せむと欲せば、李樹を植うべく、もし憂を달活39人のお달忘れむと欲せば、萱草を植ゑたが善い。つまり、人の德あるものに交れば、以て庇蔭すべく、きんしやうだい華あるものに交れば、以て欣賞することが出來るので、何につけても、交を擇ぶが第一である。われひんせんしんは、いつまでも貧賤に甘んじて居るものでないので、かの范雎が秦に入つて張祿と稱し、やがて相位のほおなりつしんとに登つたと同じく、いつかは、相當に立身しないものでもないから、その時は、かの綿袍に比すべききうおんいかならぶ表君の奮恩を懷うて、必ず之に報ゆるであらう。りうぼうこころざしえうこうのうBし、弘農に遷れば、【餘論】起首の八句は、劉某が魯郡に於て志を得ざることを寫し、次の八句は、大げん上ろわかれ以下六句は、に得意なるべきを敍し、魯縞の四句は、別に臨んで物を贈られたるを謝し、ここに言を:しうけつ贈るといふことに及び、以て收結としたのである。送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋。却廻棲霞山。留飮贈之ぞくていぜんは노.げつけうかへ:族弟單父の主簿凝、宋城の主簿を攝し、郭南の月橋に至り、却つて棲霞山にれに廻るを送り、留飮して之に贈るいせいひやうけん吾家靑萍劍。操割有餘開。吾が家の靑萍劍操割、餘聞あり。.三七:ミじょ늘か往來糾二邑。此去何時還。往來、二邑を糾し、此を去つて何の時か還る。げつけうみなみ鞍馬月橋南。光輝歧路間。鞍馬、月橋の南、光輝、歧路の間あひつるせんだに賢豪相追餞.却到棲霞山.賢豪、相追錢し、却つて到る棲霞山。2羣花散芳園。斗酒開離顏。羣花、芳園に散じ、斗酒、離顏を開く。(五六樂酣相顧起。征馬無由攀。たのしみたけなは:上t樂酣に、相願みて起つ、征馬攀づるに由なし。【字解】【二】靑萍劇の名。E操削子產の「未だ刀を操る能はずして割かしむ」といふ語を用ひたので、すでに前に見ゆ。3糾韻會に「督なり、又豪なり」とあり、周禮大司徒に「萬民を糾す」とある。三斗酒開離顏陶潜の詩に斗酒開芳顧とあるに本づく。E征馬江淹の別にに征馬而不願とあるに本づく。三노しちやうあんご츨【題義】族弟凝は前に見え、族弟沈と一所に居て、沈の長安に還りしとき、なほ單父に留まり、それちやうあんだ5から、長安に歸るに就いて、李白は、これを晏堀まで送つたといふので、その詩は、前に見えて居た。送送族弟單父主簿凝攝宋城主簿至郭南月橋却廻棲霞山留飮贈之げつけう郭南の月橋に至り、かへ:却つて棲霞山斗酒、