李太白集卷十六そうじやうけんちなんだう:くわくか長ij宋城縣は、唐の河南道、宋州唯陽縣に屬し、その郭下に單父縣があつて、州の東北一百四十九里に在ぜんはりんせつせいかざんえんしうぜんけんひがしよつたといへば、宋城も、單父も、互に鄰接して居たのである。棲霞山は、一統志に「兗州單縣の東四ぜんけん居ぞくていぎょうしゆば里に在り」と記してある。單縣は、卽ち舊時の單父縣である。この詩は、族弟凝が單父の主簿であつこんくわいそうじやう上けんきつがふくわくなんたのに、今囘宋城の主簿をも兼攝することになり、公務の都合で、郭南の月橋に至り、それから、:こか、たご를ま因つて、棲霞山に還らむとするに際し、これを留めて酒を飮ましめ、賦して贈つたのである。なんぢごせいひやうけんみ10【詩意】汝は、ガ象の靑岸創ともいっくぐるの和わはは何にも量事でこれを幾つてこらさいかんあつゆれ際し、精粹として餘籍がある位、その才幹は、天晴の人物と接すべきももかくて、今までは單そうじやうほんみん·しゆぼけんせついふあひだ:を行ふこ父の主簿であつたのに、今度は、宋城をも兼攝し、二邑の間を往來し、萬民を糾して政とまたまあんはげつけうみなみsに成つたが、ここを去れば、又何時還るであらうか。かくて、鞍馬を聯ねて、月橋の南に至れば、光あひだpsとばんけんがう~せんべつじら輝燦然として、歧路の間に照り耀く位、そこで、單父の賢豪どもは、跡を追ひかけて、儀別の宴を開せいかざん〓t use發ほうゑんさんしき、それから、汝は棲霞山に往くとのことである。時しも春の半羣花は芳園に散じ、斗酒を酌めば、んEあひかへりで別離の愁顏を開かしめる。やがて、樂酣なる時、さらばといひつつ、相顧みて起ち、愈よ出かけるinなんちとでぜんねんといふが、公事程あり、汝の馬を引き留めることの出來ないのは、まことに殘念である。じんぶつつぎたいよう【餘論】起四句は李凝の人物、次の四句は今次の征行、終の四句は饑筵の狀況で、内容が內容だけ:に、格別の物ではないが、相應にまとまつて居る處は、さすがに李白の手筆である。性い、魯郡東石門送杜二甫魯郡東石門にて杜二甫を送るだい醉別復幾日。登臨徧池臺。醉別復た幾日。登臨、池臺に徧ねし。いづれ$きんそん何時石門路.重有金樽開。co何の時か石門の路、重ねて金樽の開くあらむ。秋波落泗水海色明徂徠とし3あああ秋波、泗水に落ち、海軍、徂徠に明かなり。15ひほうおのおのおのづか造3さかづき飛蓬各自遠.且盡手中杯.飛蓬各、自ら遠し、且つ盡せよ手中の杯。【字解】S酒水元和郡縣志に「潤水は、源、兗州酒水縣東の陪尾山より出づ、その源、四あり、四泉ともに導く、因つて、以て名と爲す」とあり、一統志に「酒水は、源、陪尾山より發し、四泉竝に發し、潤水縣北八里に循ひ、はじめて合して一となり、西、曲阜縣を經、竟州府城の下を貫き、濟事に至つて南北に分流し、南流は徐州の境に入り、北流は會通河に入る」とある。3徂〓水經註に「鄰山記に曰く、徂徠山は梁甫、奉高、博、三縣の界に在り、なほ美松あり、亦た尤來の山といふ」とあり、一統志に徂徠山は、秦安州の東南四十里に在り、上に業原池、玲瓏山、獨秀峰、天平東西三寨あり」と記してある。SO飛邊商子に「飛蓬、属風に通うて、千里を行く」とある。ねうぎよやう〓とうほくせきもんざんし【題義】王漁洋の居易錄に「孔博士東塘言ふ、曲阜縣の東北に石門山あり、卽ち杜子美の詩、張氏隱1ドはふさうていか居に題すに謂はゆる春山無伴獨相求、劉九法曹錦瑕廊、石門宴集に謂はゆる秋水〓無底、是れなり。ご1李太白、石門に杜二市を送るの詩あり、何時石門路、更有金樽開しと。亦た其地の山麓、今尙ほ張氏莊けだふか、あり、相傳へて、唐の隱士張叔明の舊居と爲す。張は、蓋し太白孔巢父輩と同じく、徂徠に隱れ、竹送魯郡東石門送杜二甫