李太白集卷十六いつ녹·莊せきげふたいちせきもんじ溪六逸と稱せしものなり。山は甚だ高大ならざるも、石峽對峙、門の如し、故に名づく。中に石門寺ヒこほうちやういづみけいかん石あり、寺後を油峰といふ、峰頂に泉あり、流れて溪洞に入り、往往瀑布を成す」とある。すると、ゑんかうれくい,ろいとあその地に於て杜甫の遠行をつたときに作つほ門は、卽ち今の石門山で、魯郡の東に在る。この詩は、たのである。わかれなすゐいん~時は【詩意】今次、君が遠くに行かれるに就いて、別を惜む爲に醉飮し、すでに幾日を經たか。その間だいはやのこぜきもんみち處處の池臺に登臨して、最早殘すところもない位。しかし、一たび別れなば、この石門の路に於て、きんそん담さいくわいひで秋の何時又相逢うて金樽を開くべきか。再會の日は、もとより期することが出來ない。眺めやれば、だもはわたはんえいaま波が起つて、さしもの泗水も稍や淺く、海色は晴れ亙つて、徂徠山に反映して見える。君も、我も、毒ひEてとひとしく旅の身で、蹤跡は飛蓬の定處なきが如く、やがて、各自に遠くに往つて仕舞ふから、せめてしゆちうさかづきかたむぶんたのしみ上は、ここに於て、手中の杯を傾け、十分に樂を盡すが善からう。んcみじかしやじやうちうし흔えんしよく一【餘論】この篇は、極めて短いが、出語輕省、寫情稠至、すべて自然に出でて、少しも掩飾したり敷きやうちせいくわう丈むげん「無限張したりした處がない。五六は境地〓曠、これを得て、一層の色澤を添へて居る。乾隆御批にていくわい? 5ヒかんR :それから、蕭の低徊說いて盡さざる處あり、情辭よりも深し」とあるが、簡にして盡して居る。お今この當を觀えつて曰く、士賛の說に「杜少陵、かつて詩あり、太白に贈何時一樽酒、重與細論文。ぜんべんるに、豈に一時酬答の詩なるか」とあつて、その全篇は、左の通りである。白也詩無敵、飄然思不羣、〓新庚開府、俊逸鮑參軍、渭北春天樹、江東日暮雲、何時一尊酒、重與細論文。むろんまましかし、この詩は、春日憶李白と題してあるから、無論、この時の作ではなく、別後に寄せたので、ほくかうとうりやうちかくぜつコ消北江東は、兩地隔絕せるを寫し、そして、結二句は、李白の句を翻用したものであらう。又藝苑雌またげいゑんしでうほしびおほ黃に下の一條がある。노曰く、洪駒父詩話に言ふ、子美集中、太白に贈る詩、最も多し。しかも、李集、初めより一篇の杜に與ふるものなし、んあんだんせいしよくいうやうざつそ李集、と。按ずるに、段成式の酉陽雜組に云ふ、堯祠贈杜補すなははんくわざん闕といふものあり、卽ち老杜なり、ひとり飯顆山の句のみに非ざるなり、らと。予、かつて之を考ふわんけそふるに、太白集中、沙上城下寄杜甫の詩あり、又魯郡東石門送社二甫の詩あり、洪駒父、略して此aを見ざるは何ぞやと。飄然思不羣、〓新庚開府、俊逸鮑參軍、渭北春天樹、江東日暮雲、何時一尊酒、重魯郡堯祠、送張十四遊河北ぐんげうしかき魯郡堯祠にて、張十四の河北に遊ぶを送る猛虎伏尺草。雖藏難蔽身。+おほ詳猛虎、尺草に伏す、藏ると雖も、身を蔽ひ難し。〓有如張公子。굴ふうぢん骯髒在風塵。張公子の如きあり、航髒、風塵に在り。〓豈無橫腰劍。屈彼淮陰人。はか달ら豈に橫腰の劍、彼の淮陰の人を屈するなからむや。送各郡発詞送張十四遊河北