李太白 集卷十六歌易水濱。ミえんか擊筑向北燕。燕筑を擊つて、北燕に向ひ、燕歌易水の濱。た:政歸來太山上。當與爾爲鄰.歸り來る太山の上、當に爾と鄰を爲すべし。【字解】【】張公子强十四その人を指す。【二】伉佛後漢書の註に「高亢俸直の親」とある。CO淮陰人韓信が淮陰の少年に尋められた事を用ふ、すでに前に見ゆ。【日】易水濱水經註に「太子丹、剤刺を遣して秦王を刺さしむ。賓客、謀を知るもの皆衣冠を素くして、これを易水の上に送る。〓軻、起つて毒を爲し、歌うて曰く、風蒼蒼兮易水寒、壯士一去兮不復還と。高漸離、筑を撃つ。宋如意、これに和し、壯聲を爲せば、士皆髮冠を沖し、哀聲を爲せば、士皆流涕す」とある。3當與爾爲郡陶滑の詩に老夫有所受、思與爾爲〓とある。ミえんか筑を擊つて、北燕に向ひ、燕歌易水の濱。た:政歸り來る太山の上、當に爾と鄰を爲すべし。けだ喜ば:たはたうじょちがほくだう蓋し古しへの幽·冀二州の境:【題義】唐書地理志に「河北道は、孟·懷·魏·博·相·衞·貝·にけいに1じき去はばくいセ那·南京·鉄·孝·孝·忠·泉·泉·定·定長·幽·ネ·夢·美·か15 L c 62さぶ張某の河北に遊ぶを送つちやうほうほ州あり」と見ゆ。張十四の名字は不詳。この詩は、例の魯郡の堯祠に於て、(て作つたのである。たけたかる〓おほ丈高き草むらに伏して居る時、【詩意】猛虎が、かくれて居る積りであつても、その身を蔽ひかくすで500ぜんぜんたうく口い15달ことは出來ない。士の此世に在るも、正に之と同じく、全然韜晦しやうとしても、矢張、人の目につこ꿀さいのう:き、毀譽褒貶、必ず之に伴ふものである。わが張公子の如きは、天晴の才能あれども、兎角不遇で、ふうぢん:およおしつけいけいなわい風塵の中に跼踏して居る。もとより、腰下には實刀を佩びて居るから、失敬にも人を輕侮する彼の淮せうねんはい.줄陰の少年輩をつかまへて、目に物見せて吳れることの出來ない筈もない。しかし、そんな事はせず、き古しへの〓柯を弔ひ、초レーこれより、筑を擊ちつつ、北燕に向ふとのことで、易水の邊に於ては、燕歌をまたいざんほしらたた唱へて、感慨に堪へぬことであらう。かくて、太山の邊なる、この魯郡の地に再び歸つて來たならば、たがひ汝と鄰同士に住んで、日夕追隨、互に慰め合ふことにしやう。かかうがいただか5【餘論】全體が悲歌慷慨といふ樣な調子で、讀者の心を動盪する。但し、張十四は、何の爲に河北に〓さいわかけ:出かけるのか、その邊の消息は、一切分らず、一轉して、歸來太山上となり、甚だ呆つ氣ない樣な氣がする。杭州送裴大澤〓赴廬州長史はいだいたくれし)ちやうしおも杭州にて表大澤を送る、時に廬州の長史に赴く西江天柱€西>遠。東越海門深.江、天柱遠く、東越、じ去割辭親戀。行憂報國心。ふ去つて、辭親の戀を割き、好風吹落日。流水引長吟。好風、落日を吹き、流水、き五月披裘者。應知不取金。55 : e :五月、裘を披くもの、還杭州送雲大澤時赴廬州長史海門深し。a行く報國の心を憂へしむ。流水、長吟を引く。:應に金を取らざるを知るべし。好風、55五月、落日を吹き、: e裘を披くもの、