李太白集卷十六こだうれんめんはし古道連綿走西京.古道連綿、西京に走る、けつらくじつふうんしやう紫闕落日浮雲生.紫闕落日、浮雲生ず。あたこんせきだんちやう正當今夕斷腸處.正に當る今夕斷腸の處、しうぜつしの驪歌愁絕不忍聽。驪歌愁絕、聽くに忍びず。【字解】E滿陵亭太平寰字記に「霸陵は成陽縣の東北二十五里に在り」とある。三漏水水經註に「漏水は白鹿原を經、東は卽ち霸川、西は故の芷陽、これ之を霸上といふ。漢の文帝、その上に葬り、これを霸陵といふ。上に四出道あり、以て水を瀉ぐ。長安の東南三十里に在り。故に王仲宣、詩を賦して曰く、南登ニ陵陵岸、醒首望長安」とある。【三】王桑字は仲宜、西京の擾亂を以て、乃ち〓州に之いて劉表に依り、七真詩を作る、卽ち南登三國陵岸、囘首望ニ長安の一首。3風歌漢書に「王式曰く、寄、壓胸を歌ふ、主人歌へば客歸るを容るるなし」とあつて、服處の註に「鳳駒は逸詩の篇名、大義禮に見ゆ、客去らむと欲して之を歌その辭に曰く、■胸在門、僕夫具存、壓駒在路、偶夫整〓」とある。こだうれんめんはし古道連綿、西京に走る、けつらくじつふうんしやう紫闕落日、浮雲生ず。あたこんせきだんちやう正に當る今夕斷腸の處、しうぜつしの驪歌愁絕、聽くに忍びず。はりようそうべつくわうげいきつだ【題義】灞陵送別の光景を寫したから、かく題したのである。まゑんかうはりようていはすあながれかうかうわた【詩意】君の遠行を送るが爲に、この漸陵亭まで來て見れば、溺水は、流浩浩として、渡ることも一む寸六つかしい位。ここ5によき153たしたそのあたりを見まはすと、上には、花もない古木が如鬼如鬼と立つて居るし、下にいたしゆんさうB5 iであとじんsみらわかは、心を傷ましむる春草が煙の如く萌え出て居る。そこで、我は、土人に向つて、路の分れるのは、ニテわうさんみなみはりようのぼだうどこへ通ずるかといつて問ふと、これこそ、むかし、王粲が南、漸陵の岸に登れば」といつた古道みなみけいしうきたちやうあんParkちやうあんじゃうちうきうけつさがで、南すれば、〓州までも行くし、北すれば、長安に連つて居る。長安城中には、宮闕嵯峨としてこにBDほふうんたちましやういたたらはにい2§聳え、落日西に斜なる頃、浮雲忽ち生じ、まことに心を傷ましめる眺である。この漸亭附近こそ、長あんはつこんせきとうしゆくはらわたた달とだわかれ1せいせいしう安より發する旅客が今夕投宿し、囘願して腸を斷つ處であつて、その人の唱へ出す別の歌は、聲聲愁し:1しミ글絕、聞くに忍びないのも、まことに、尤も至極な事である。けんりうぎよひ「古しへの傷心の人、くわいはうは죽【餘論】乾隆御批には別に懷抱ありとは、この詩の謂」とある。起首六句、長たんさくそう:地れ、あていけいせいしんい短錯綜、亦た實に、一奇格と推すべく、その下、古道の二句は、綴景〓新、正當今夕斷腸處に至つて、よじやうとこ餘情長しへに盡きない。は죽この詩の謂」とある。起首六句、長ていけいせいしんい綴景〓新、正當今夕斷腸處に至つて、がかんかへれ送賀監歸四明。應制賀監の四明に歸るを送る、toえいたつ久辭榮祿遂初衣。久しく榮達を辭して、初衣を遂げ、曾向長生說息機。ちやうせいむかかつて長生に向つて、息機を說く。眞訣自從茅氏得。しんけつみづかぼうし眞訣、自ら茅氏より得、若者:へだかへ恩波應阻洞庭歸。恩波、應に洞庭を阻てて歸るべし。0えうだいせいしんみ瑤臺含霧星辰滿。六瑤臺、霧を含んで、星辰滿ち、送送賀監歸四明應制おうせい應制【字解】【一】違初衣初衣は初服楚辭に進不入以離尤一分、に同じ。退將復修平初服、製菱音以爲衣〓,集美容以爲裳とあつて、王「初服、初始潔〓の服なり」逸の註にとあり、卽ち朝衣を脫いで、初始潔〓の衣服を著ること。3眞訣息機を說く。