李太白集卷十六@仙嶠浮空島嶼微. (七じ借問欲棲珠樹鶴。何年却向帝城飛。李太白集卷十六@太玄眞人傳に「茅政、仙し去らむと仙嶠浮空島嶼微.仙嶠、空に浮んで、島嶼微なり。(七じしやもん5つし、家人及び親戚と辭し、句曲に歸借問欲棲珠樹鶴。借問す、珠樹に棲まむと欲するの鶴、る。二第、これを聞き、官を棄てていづれごていじやうむか家に歸る。漢の元帝永光元年、江を何年却向帝城飛。何の年か、却つて帝城に向つて飛ばむ。渡つて、兄を東山に求め、遂に與に相見る。兄曰く、癇、すでに老いたり、欲、補ふべきこと離し、たとひ眞訣を得るも、適ま地上の主者と成るべきのみ」とある。3潤庭水經註に「太湖中に大雷小雷の三山あり、亦た之を三山湖といひ、又これを洞庭湖といふ」とあり、吳地記に「揚州記に曰く、太湖、一名は震澤、一名は洞庭」とある。三瑞臺拾遺記に「須彌山の旁に瑞產凡そ十二あり、各-廣さ千歩、皆五色の玉を臺基となす」とあり、梁の武帝の詩に、瑞臺含 z歸z、羅慕生ニ類煙とある。3仙嶠列子に「渤海の東、中に五山あり、その根、連著するところなく、常に潮波に隨つて上下往還す」とあつて、その詳、前に見ゆ。仙崎、浮空は、卽ち其事を用ひたのである。E珠樹鶴淮南子に「崑崙中に珠樹あり、玉樹、強樹、不死樹、その西に在り」論衝に「海外、西南に球樹あり」と見ゆ。次に神仙傳に「蘇仙公、道を得たり、數年の後、雲に昇つて去る。後に、白鶴あり、來つて郡城東北樓上に止まる。或は彈を挾んで之を彈す。普、爪を以て模板を握し、漆書に似せて曰く、城郭是、人民非、三百甲子一來歸、我是蘇公、彈我何爲」とある。仙嶠、空に浮んで、島嶼微なり。しやもん5つ借問す、珠樹に棲まむと欲するの鶴、いづれごていじやうむか何の年か、却つて帝城に向つて飛ばむ。ド中止,ニヒ白くる【題義】賀監は、卽ち賀知章で、その四明に歸臥せしことは、もとより著名な事實である。册府元龜がまに「賀知章、祕書監となり、銀靑光祿大夫を授けらる。天寶三載、老疾に因つて、恍惚醒めず、洞天RISしんいう늘まひも出じやうそ三〓の上に神游するが若く、數日にして方に覺め、遂に入道に志あり、乃ち上疏し、度して道士とかへほんきつうたなりて歸り、本〓の宅を捨てて觀と爲さむことを請ふ。玄宗、これを許し、仍つて、其子典を設郞にくわいけいやんしは:かう おくかa ,い拜し、曾を會稽郡司馬となして侍養せしめ、御製の詩、以て行を贈り、皇太子以下、威な就いて別を執る。御製の詩〓に序に云ふ、天寶三年、太子賓客賀知章、鑒止足之分、抗歸老之疏、解組辭榮、志期入道、朕以其夙有微尙、年在遲暮、用循挂冠之事、俾遂赤松之游、正月五日、將歸會稽、遂儀東路、乃命六卿庶尹大夫、供帳靑門、寵行遁也、豈惟崇德尙齒、抑亦勵俗勸人、無令三二疏獨光漢册、乃賦詩贈行云、遺榮期入道、辭老竟抽簪、豈不惜賢達、其如高尙心、環中得祕要、方外散幽襟、獨有靑門儀、羣英帳別深、またん又云ふ、筵開百壺儀、詔許二疏歸、仙記題金錄、朝章換羽衣、悄然承ニ睿藻行路滿光輝。デハ,ちやうらくはそれから、詩紀載に據ると〓知章の越に歸るや、詔して、東門外に供帳せしめ、百僚、長樂坡に:〓だき祖餞す。李適より以下、詩を作つて之を送る」とあつて、今詩の存するもの三十七首、李白の此詩も其一である。應制は、天子の詔を承けること。51おんえいけつせいに【詩意】賀老は、恩榮ある俸祿を辭し、朝衣を脫いで、初始潔〓の服を著けやうと願ふこと、すでに:·キトちやうせい七七久しく、又かつて長生の仙術に心を寄せ、これに因つて、浮世の塵機を斷つことが出來ると言つて居送送賀監歸四明應制かう おく以て行を贈り、か皇太子以下、a ,い威な就いて別を御製の詩、豈不惜賢達、其如高尙心、環中得祕要、方外散幽襟、獨有靑