李太白集重十さいわか切分らない。たうしやうぐんこたらいなんゆう〓ろうせん〓たいかうくだせいきかけかうじゃう【詩意】陶將軍は、今次出でて南方に使し、樓船を從へて大江を下るとのことで、旌旗の影は、江上Khuはしえん포함とほ薄た15元こっさくに簇つて、晴れた日の紫煙を拂ふばかり。かくて萬里の遠きに赴き、戈を橫へて虎穴を探らむとし、はいたもりようせんあいけんぬょがいさうれついかなと三杯を傾けし後、龍泉の名劍を拔いて、起舞する。その氣〓の壯烈なる、如何なる事でも成し遂げぬ45しじんたんじげつ5きみ筈はない。むかしから、詞人には膽氣なしといふが、決して、そんな譯ではなく、われは、君の行くのてうだうめぐあゆはべん門このじやうぶに臨み、朝堂を繞つて歩みながら、馬鞭を贈り、以て此情を展べやうと思ふ。しかくべつたいぐうなぜいたうたつ【餘論】この詩は格別のものでなく、萬里三杯の二句は、對偶を爲しては居るが、精當ではない。唐ちうげんんちゃりつたいpurりようせんごれんだつはうこうせい仲言は「この篇、全く是れ律體、疑ふらくは是れ、龍泉の下に一聯を脫す」といひ、方弘靜は「このへんまきんたいいついまもつしtel :)ら篇、當に是れ近體八句して、その五六を逸せしなるべきなり。今以て古詩となし、或は以て六句の律わうき元だんきんたいたうひととこれりくてうじんとあるひゴりとなす」といひ、王琦は之を斷じて「六句の近體、唐人時に之あり、六朝人に本づく、或は號して小はんりつらつせうりつ平仄の上かひやうそくしらい律となす」といつた。小律は一に半律といふ。しかし、ら見ると、この詩は、王琦の云ふたうちうげんやうせうりつやら唐仲言·方弘靜等の云へるが如く、たに글五六二句を脫したものに相違ない。さうん樣な小律ではなく、矢張、白集重十送程劉二侍郞兼獨孤判官赴安西幕府じとくこはんぐわんあんせいほく程·割二侍郎の獨孤判官と西幕府に赴くを送る; comごあんせいほとさいゆうおほ安西幕府多材雄。安西の幕府、材雄多し、【字解】【一】織衣僕書に「侍げんげんたらすうこう御史に縮衣直指あり」と記し、齲師喧喧惟道三數公.喧喧惟だ道ふ三數公。古の註に「衣するに縮を以てするは、〓しういてうきうせうせつあきら繡衣貂裘明積雪。縮衣貂裘、積雪よりも明かに、これを尊重するなり」とある。【三】〓kとはしへうふう글飛書走樣西京雜記に「枚皐文章敏飛書走檄如飄風。書を飛ばし〓を走らすこと飄風の如し。疾」とあり、揚子法言に「軍旅の際、ゆためいしゆcし:朝辭明主出紫宮。朝に明主を辭して、紫宮を出で、戎馬の間、飛書馳樹には枚皐を用ふ」ぎんあんべつれきんじやうむなとある。こ紫宮卽ち紫微宮、銀鞍送別金城空。銀鞍、別を送つて、金城空し。天子の居るところ、すでに前に見ゆ。숲てんぐわいひさそうかいくだ天外飛霜下葱海。天外の飛霜、葱海に下り、金城長安城、亦た前に見ゆ。くさごくわきごはんくわうさいしやうC葱海通典に「安西郡、西、疎火旗雲馬生光彩。火旗雲馬、光彩を生す。勒鎭守使の軍に至る三千里、葱嶺をいくにちた胡1胡塞〓塵幾日歸。塞、塵を〓めて、幾日か歸る、去る七百里」とあり、涼州異物志にかんちくさみどりBish 61「葱嶺の水、東西に分流し、西は大漢家草緣遙相待。漢家草緣にして遙に相待つ。海に入り、東は河源となる」とある。8火旗旗の赤くして火に似たるをいふ。Car馬の多くして雲に似たるをいふ。くたうじよほうじやうせいでんかいげんすゑあんせいちんせつとし+もうれいさつはんぐわんりうてうどくこしゃんみ【題義】舊唐書封常〓傳に「開元の末、安西四鎭節度使夫蒙靈營判官に劉胱·獨孤峻あり」と見えりうじ:どくこはんぐねんおほかた달ただて.たんぴとわかて居るから、劉侍御、獨孤判官は大方その人であらう。但し、程は何人だか、分らない。それから、送送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府【字解】【一】織衣僕書に「侍御史に縮衣直指あり」と記し、齲師古の註に「衣するに縮を以てするは、これを尊重するなり」とある。【三】飛書走樣西京雜記に「枚皐文章敏疾」とあり、揚子法言に「軍旅の際、戎馬の間、飛書馳樹には枚皐を用ふ」とある。こ紫宮卽ち紫微宮、天子の居るところ、すでに前に見ゆ。金城長安城、亦た前に見ゆ。C葱海通典に「安西郡、西、疎勒鎭守使の軍に至る三千里、葱嶺を去る七百里」とあり、涼州異物志に「葱嶺の水、東西に分流し、西は大海に入り、東は河源となる」とある。