李太白集卷十六がつほう出rし店를はんじつため:をはが芳ちを合して奉ずべしと。ここに於て、義之、便ち停まること半日、爲に寫し畢り、鵝を攜へて去ると。たんはじしんじょほんでん:だうしためだうとくきやううつまさ當に筆を擧げて相贈あけおくい音書本傳、亦た、道士が、爲に道德經を寫さば、るべきのみと云ふを著し、初めよぬかつくわうていっいしよ:これわんかくわうていいつせうしよらり、未だ嘗て黃庭を寫すと言はざるなり。二書を以て之を考ふれば、黄庭は逸少の書に非ざること、うたがひhiたういんきよりやうぶごあたせいいいつせういうめい;すうしゆくわうていくわん疑なし。然れども、陶隱居が梁の武帝に與ふる啓に云ふ、逸少有名の蹟は、數首に過ぎず、黃庭·勸じんかうせいとうなそんいなつまびちかけだせいしんかうたん초あ中進·告誓等、猶ほ存するあるや否やを審にせず、と。蓋し、この啓は、眞詰を著す前に在り、故にがくきくわうていたいくへんえいこかうしようたうちやうくわいくわんいたしよこ書估を作つて云ふ、未だ之を考證せざるのみ。唐の張懷瓘に至りては、樂毅、黃庭但だ幾篇を得すなはこくはうなつひあやまいつせうしよたいはくし?たり、卽ち國寶と爲ると。遂に誤つて逸少の書となす。李太白、これを承けて、詩を作る、山陰道士これをふ塩ほつ初めより未だ書て之を考へす。いまかつおよび如相見、應寫黃庭換白鷄と。苟くも、之に隨はむと欲するのみ、かんたいしたい능くわうていいあそのあやまこしかも、韓退之は第だ數紙尙可 傳 白熱 と云ふのみ、而して、黃庭と云はざるは、豈に其謬を覺はふしょゑんきろんしやうしつ쿨よ示わんすたら?詳悉なるが若きに似たるも、るに非ざるか。王氏の法書苑、伯思の論、予を以て之を考ふれば、そのせつひけだくわうていきやうしよががだうとくきやうしよがかおのづかりやうじやく說、非なり。蓋し、黃庭經を書して鵝に換ふると、道德經を書して鵝に換ふると、自ら是れ兩事。伯レいくわうていでんいうぐんしこ;しやうしんしつだうかくわうていないけいきやうくわうてい思謂ふ、黃庭の傳は、右軍死後に在りと。これ最も詳審に失するなり。道家に黃庭內景經、黃庭ぐわいけいきやうおよくわうていとんかふえんしんきやうくわうていぎよくぢくきやう*ぞくれいしようくわうていきやうないけいきやう外景經及び黃庭遁甲緣身經、黃庭玉軸經あり。世界、例、稱して黃庭經となすは內景經、千社だいだうぎよくしんくんつくふさうたいていくんやうこくしんわうめい'ムじんったえんしやうすなは乃ち大道玉農君の作るところ、扶桑大帝君、腸谷神王に命じて、魏夫人に傳へ、凡そ三十六章、卽ちしんかういぐわいけいきやうべんすなはもうくん〓すなはぐんしよ真詰に言ふところのもの。外景經三篇は、乃ち老君の作るところ、卽ち右軍の書するところのもの、じんったはじおなよいきうざういうぐんしよどわいけいきやうせきこく醜夫人の傳ふるところと初めより同じからず。予が家の舊藏、右軍書するところの外景經、石刻一およ1あらん膣そ六十行。せうおうやうしふころくもくニかう卷末に云ふ、永和十三年五月二十五日在山陰縣寫と。小歐陽集古錄目と之を校するぶんちうしよざうぽん%だいうぐんくわうていうつ滋げうぜんしよこうハイルいに、文忠の所藏本と同じ。すなはち、右軍の黄庭を寫す、甚だ曉然、諸公これを考ふること、未だつまびらかょゆゑふんうん〓ごと쏜いりやうふ中たひしんかう詳ならざるに緣つて、故に紛紜を免れざること、かくの如し。伯思謂ふ、梁武に與ふるの啓、眞詰あんたたあさこれんな·だうざうちうひせいしちうぐわいけいを著すの前に在り、と。これ又曲げて之が辯を爲すなり。予、又かつて道藏中に於て、務成子註外景旁ゑえじよい經一卷を得たり。序あり、云ふ、晉有道士、好黃庭之術、意專書寫常求序人、聞王右軍精於草隸、而復愛白鵝、遂以數頭贈之、得其妙翰、右軍逸興自縱、未免脫漏、但美其書耳、ちやうくんほうすすうんきふせんまこのじょもつとてききよなけだだうとくきやうと。張君房進むるところの雲笈七籤、亦た此序を載す、これ最も的據と爲すなり。蓋し道德經は、是たたんださいがときよこれためうつくわうていこたこし노よがよろこれ偶ま道士の鵝を悅び、因つて之が爲に寫す。もし、黃庭は、是れ道士その書を善くし、且つ鵝を喜·inもつそう:)そのしよ:りやうじす)ぶんめい÷しやきやうぶを聞き、故に是を以て贈となし、以て其書を求む。これは是れ兩事、頗る分明。倶に寫經を以て鵝,よひこうじんじみだいあんだたたいはくを得るに緣つて、遂に後人をして指して一事となして、妄りに異論を起さしむ。唯だ李太白、その二じしゆゑしよいうぐん税事たるを知る、故にその書右軍の一篇に云ふ、右軍本〓眞、瀟灑出風塵、山陰過羽客、要此好鵝生がだうとくきやうを得たるを言實掃素寫道經、筆精妙入神、書罷籠鵝去、何會別主人と。これ道德經を書して鵝まんいくわうていきやうふなり。送賀實客歸越の一篇に云ふ、山陰道士如相見、應寫黃庭換白鵝と。これ黃庭經を노大たいはくりやうしおいまおのおの±かつあた書して、鵝を得たるを言ふなり。太白、兩詩に於て、亦た各、これを言ふ、すべて未だ嘗て誤らず、送送賀實容歸能六八七