事太白集卷十六こ·一第25おん:余欲羅浮隱。猶懷明主恩。余は、羅浮に隱れむと欲し、猶ほ明主の恩を懷ふ。〓:ほげんこふ躊躇業宮戀。孤負滄洲言。紫宮の戀に躊躇し、滄洲の言に孤負す。ひしんかいじやうおな終然無心雲。海上同飛翻.終然たる無心の雲、海上同じく飛翻す。Biすなはほうこん相期乃不淺.幽有芳根。相期する乃ち淺からず、幽桂に芳根あり。【字解】E羅浮洞天福地記に「羅浮洞は、周圍五百里、朱明編眞の天と名づく。惠州傳羅縣南八十里に在り」といひ養字記に「羅浮山は、本と是れ蓬萊の一峰、浮んで澤中に在り、羅山と合し、因つて、之に名づく、山に洞あり、句曲に通じ、又華開瑤室七十二所あり」といひ、農淵の廣州記に「羅浮の二山、天に隱る、惟だ石樓の一路登るべし」とある。【三】麻膳增韻に「猶躍なりへとある。3紫宮天子の居、前に見ゆ。幽桂有芳根吳均の詩に桂樹多芳根とあるを用ひたが、その意は、却??誰南相壓士の桂樹叢生山之國といふを用ひたのである。けいやうぐんのい吉正かうなんせいだう를てくいいじじう【題義】桂陽は郡名、卽ち彬州で、江南西道に隸して居た。この詩は、王昌齡と共に、族弟李襄といまただほんわうしやうれいさいこくほひとふものの桂陽に歸るを送つて作つたのである。但し、一本には「王昌齡·崔國輔と同じく、李舟の彬}まと?州に歸るを送る」に作つてある。ちやうあん警モた碧草の萌え出づる春の頃、楚地の歌を唱へて、〓樽に對し、こ【詩意】秦地なる、この長安に於て、もたんか,れEさうぜんそは何を思つて居るのであるか。ふこに、汝の行を送るのである。汝は酒を把り、愴然として居るが、たふん〓なんゑん元ぜんてい동いた5 +多分、劇鴣の南園に啼く聲を聞き、前程の愈よ遠きに心を傷ましめて居るのであらう。われも、羅浮xたれおん:ミたしJちうせい山に隠れやうと思ふが、明主の恩を懷へば、むやみに此を立ち去ることも出來ず、紫宮を戀ふる忠誠こしせんたづへいぜいげんの念に動かされて、頻りに躊躇し、そして、滄洲に仙を尋ねるといふ平生の言に孤負して居る。しかな물tかいじやうとがし、われは、無心の雲の如く、いつかは、ここを立ち去つて、汝と共に海上に飛び翻るべく、爾我二〓わ글せうえう心に期すること淺からず、たとへば、幽桂に芳根があつて、山中に叢生するが如く、物外に逍遙はんらいするのが、本來の志である。:か<ぶんいんとん【餘論】起首四句は送別の正意、以下八句は、自分もいづれ隱遞するから、必ず待つて居て吳れろとたくかいえげんさうらう漢てんせつピわんりふく244いふので、更に一步を拓開し、熟套を避け得た處が面白い。嚴滄浪は「許多の轉折、却つて腕力を費)あたまち〃なんあつさず」といひ、蕭士賛は「細に此詩を味へば、一飯君を忘れざるものに非ざるか、議者、何ぞ厚く太:はくけたと白の杜に如かざるを誣ふるや」といひ、猶懷明主恩の一句を本にして、大に李白を辯護して居る。いづこ爾家何在瀟湘川·爾の家、何くにか在る、靑莎白石長江邊。:ちやうかうin靑莎白石、長江の邊。昨夢江花照江日;き昨は夢む、江花の江日を照らすを。acとうさうま幾枝正發東窓前。幾枝、正に發く東窓の前。送同王晶齢要桂陽こ瀟湘の川。【字解】E瀟湘二水の名、王琦の說に「湖よりして南、二水組るところの地、甚だ廣く、長沙湘陰はじめて靑草湖に途し、廳に至り、測庭に注ぎ、岷江の流と合す。故に側の北は、漢汚これ主、これを灌潮