李白卷十六*はたまっころいうぜんといふを得ず。もし湖の南は、皆瀬覺來欲往心悠然。覺め來つて、往かむと欲すれば、心悠然湖を以て、これに名づくべし。のこんゑつてう上なんてんと魂隨越鳥飛南天。魂は越鳥に隨つて、南天に飛ぶ。時、人の桂陽に歸るを送つて、雷家しんうんやまParうみあひせつ何在灌湘川と云ふ、その實、瀟湘の水秦雲連山海相接。秦雲、山に連つて、海相接し、は桂陽の下に在り、逆流して桂陽を桂水橫煙不可涉.けいすゐ12/3たわた桂水、煙を橫へて、渉るべからず。經る能はざるなり」といつた。3まおく갈に青莎夢は水草の名。CE桂水送君此去令人愁。君が此に去るを送れば、人を愁へしむ。水經註に「桂水は、桂陽縣北の界山ふうはんほうほうかし)一元風帆茫茫隔河洲風帆茫茫、河洲を隔つ。に出づ、山壁高聲、三面特峻、石泉しゆんたんけいさうみどりま懸注、瀑布となつて下り、も、南平春潭瓊草綠可折。春潭の瓊草、綠折るべくんば、縣を徑し、東北流して、艦亭の右にELよちやうあんめいげつうう西寄長安明月樓。西に寄せよ、長安の明月樓。至り、鍾水と會す。通じて桂水と爲すなり」といひ、應劭は「桂水は桂陽に出で、東北流して湘に入る」といつた。王琦の說に「按ずるに、桂水は彬州桂東縣の小桂山に出で、下流は、來水に合す、來水は衡州府城の北に至り、はじめて瀟湘と合す」とある。なんぢいへどけいやうすなはせうしやう〓〓iこもやうかうほとり:【詩意】汝の家は、何處かといへば、桂陽、卽ち滿湖二水の流域附近であつて、長江の邊には、靑莎はくせきあひえいだんおもむきさくじつまゆめ江邊の花は、は だなさかいてwて白石が相映じて、一段の趣がある。昨日、君は夢を見たが、今が盛りで、江天の日に照まむしちやうじさそおのが故居に於ても、とうさうらされ、そして、東窓の前なる幾枝が丁度咲き初めたとのことであつた。そここころいうぜん君は夢が覺めると、:こきやうごおとっで、故〓へ歸らうと思ひ、しかも、心悠然として取り付くすべもなく、はては、しんこんまつてう〓へうへうぜんなんてんとねん1:しんちくやまつらき神魂が越鳥に隨ひ、飄飄然として南天に飛び行く想がした。顧みれば、秦地の雲は山に連り、そしてさんみやくところ:けいすみ:おれたあべんrieそのうへたいgoとせふ山脈の盡くる處は海、桂水は山の彼方に在つて、一片の煙が其上に橫はり、決して、徒涉することはよか君の今此地を去るを送れば、うこんなんいまこのも引くF:おはしおのづかた出來ず、旅行するのも、なかなか困難である。別離の愁自ら堪へず、ま10社かぜえうほう河洲に隔てられ、へだうみなし:君き君の乘る船は、帆に風を受け、査茫として、やがて見えなく成つて仕舞ふ。すげいやうかへたんじやうのるいけいさうみどりを忘れずに之を折り、をでに桂陽に歸りし後、潭上に萌え出でし瓊草の綠なるを見、もし折るべくんば、にしxいまをちやうあんげつかろうよさうしじやうなぐさ西に向つて、わが今居る長安なる月下の樓に寄せ、せめては、わが相思の情を慰めて吳れろ。ミしゆんしよくゑがor次の四句は桂陽に歸る道ギだうとこんなんにはくそうべつ【餘論】起四句は故國の春色を描き、途の困難なるを述べ、終の四句は送別おまえにこ結二句は仙音標緲として、けつひとはらけいりんせん〓しえいLの正意、第十、人を賺し去るの妙がある。桂臨川が情至憫に出づ、詞てうげいぜつとしさくしやせんぢやうさいたはうめうしよ調警絕」といつた通り、かういふ詩になると、さすがに作者の擅場で、容易に他の模倣を許さぬ妙處がある。じうぞんだし、送外甥鄭灌從軍やわいせいていくわん三首外甥鄭灌の從軍するを送る三首いちくたにかうさいきた:【字解】六博爭雄好彩來。S六博演繁露に、六博、雄を爭つて、好彩來れば、1.六子を用ふ、楚辭これを六博金盤一きんほん:まんにんひら擲萬人開。金盤一擲、萬人開く。といふ」とある。E好彩彩は送送外甥鄭灌從六九九