事白集卷十六やう:こは톰あふやうがあるので、あまりけばけばしい樣な道は、束ねて之を賣るべく、かくて、五寶が山河に澄るる樣なくわんなけつ征:すでくくだい〓しかた觀を爲すべきも、決して、褒めたことではない。君が既に落第した上に、ここに留まつて居ても仕方こきやうすうざんかへ:にはながこころ20がないから、その故〓なる嵩山に歸り、酒を酌みつつ、庭の木でも眺めて心を落ちつけ、ゆつくりとしうやうよはいた'えふねんとはな최おなレせん修養するが善い。たとへば、貝多羅葉が一年に三度花さいて、なかなか落ちないと同じく、この試驗たとみやうねんみやうごねん立ち통し訳も唯だ一度だけではなく、なほ明年も、明後年もあることであるから、興に乘じて、試驗を受ける爲いとじやうきやうよに、今一度、上京したら善からう。こんゆんしよしゆがくかうしやうしたがその研究ひつえう老子の學が根本になつて、しれ【餘論】起八句は、諸種の學校を生じ、從つて、も必要で、これとしいこんじレけんらくだいいを以て士を取ることも、至極尤もだといふ意。夫子聞洛誦の六句は、今次、試驗に落第した理由をしききやうご누い;たじつしよくぼう揚摩し、勸君還嵩丘の四句は、その歸郷を送り、兼ねて、慰藉の意を寓して、他日に囑望したのである。)に送別じんやうけい尋陽五溪の水、%えんくわいただちに入る巫山の裏。沿酒直送別尋陽五溪水.沿酒直入巫山裏.【字解】S五漢蕭士賛の解に「巫山は、聖峽二州の間に介し、に青溪、赤溪、綠蘿溪、滄茫溪、姜詩溪あり。峽の五溪たり。蓋し、別姜別しょうきやうひとともつた勝境由來人共傳.ゅこ勝境由來、人共に傳ふ、るる者、尋陽より五溪に上つて、區峽に入るを謂ふなり。乃ち、子見、君なんちうでみづかびしょう君到南中自稱美.南中に到つて自ら美と稱す。指して武陵の五溪と爲す、恐らくはきみこ、づぐわつ送君別有八月秋。詩意を失せむ。武陵の五選は、沅よ君を送る、別に八月の秋あり、さっきつろくわ:〓こリ湘に合し、洞庭に瀦し、岳陽に至つ颯颯蘆花復益愁.颯颯蘆花、復た益す愁ふ。て後、江に入る、巫峽の地勢と相聯うんゆんとだのぞあひみ屬せす、雲帆望遠不相見。雲帆遠きを望んで、相見えず、引くところ武陵の五溪に非(き)にきさえたむなおのづかながざること明かなり」といひ、これに日暮長江空自流.日暮、長五、空しく自ら流る。就いて、王琦は「按ずるに、詩句、五溪、當に尊陽に在るべし。然れども、考據するところなし。按ずるに、一統志に、五溪水は、池州青陽縣西二十里に在り、源は九華山に出づ、五溪は、龍溪、池溪、漂溪、雙溪、淵溪、合流して、も、大江に入る。尋陽、或は是れ青陽の誤なるも、未だ知るべかsho楊氏は、武陵の五溪を以て、蕭氏は巫峽の五淺を以て之に當つ。恐らくは、皆是に非ず」といつた。要するに、尋陽五溪は、遂に其解を得ないので、ここでは、しばらく、文字の通りに解釋して置く。3沿洞沿は水に願つて下る、個は水に逆つて上る、つまり水を上下すること。C長江空自流王勃の詩に檻外長江空自流とある。たそうべつたれどこいわか【題義】唯だ送別とあるだけで、誰が何處に往くのを送つたのか、よくは分らぬ。じんやうはつながれ달五溪の水に沿ひ、品しやうか4けふやがて座峡の中に入る。보亠【詩意】一たび尋陽を發し、その流を上下して、その巫峽おとしとうきやうひとびとにたこれま君は南中に到り、なんちうは、音に聞こえた勝境で、むかしから、人人は之を傳へて居るので、これを見ると、さだぜつびしやうたんいきみ おくとフィ:59さなか定めて絕美だといつて、賞嘆することであらう。今や、君を送る時、恰も八月で、秋の最中、たださ處送別