李太白集卷十六せんべつえん홍かげかたむおよせいはんふるだいこうはら今云말餞別の筵は、夕日影の傾く頃にも及び、やがて、君は、旌麻を揮つて、さながら彩虹を拂ふがかいいありさまごとしょこうたいごといよいだまことに美美しく、如く、これから愈よ乘り出すといふので、且つ勇ましい有樣。天子は、諸公の大たきんかくこれづだわおしめしじょ:はやききやう功を建つるを待つて、麒麟閣に之を圖畫しやうといふ御思召であるから、凱歌を奏して、早く歸京さ:いたれる樣に致されたいものである。いじゆんぜんごんはいりつたいだやうきはせいたうけつ,しよくほうあさ且つ【餘論】この一首は、純然たる五言排律で、その對仗も極めて精當で、結二句、囑望淺からず、臺せつじつ最も切實である。たいだやうきはせいたうその對仗も極めて精當で、けつ,結二句、しよくほうあさ囑望淺からず、且つはくりきんごとうしやうぐん〓せいせいおく送白利從金吾董將軍西征白利の金吾童將軍に從つて西征するを送るせいきやうこくたうはくきぐんゐた西羌延國討:白起佐軍威。西羌、國討を延べ、白起、軍威を佐く。小2こひあいげつ劔は決す浮雲の氣、US〓決浮雲氣。弓彎明月輝.弓は彎く明月の輝。うまゆへんさうみどり:しよさうと馬行邊草綠.旌卷曙霜飛.馬行いて、邊草綠なり、旌卷いて、曙霜飛ぶ。(三)てにあひかへりかんぶうちら눕抗手凛相顧、寒風生鐵衣手を抗げて、凛として相顧みれば、寒風、鐵衣に生ず。【字解】こ西羌後漢書に「西羌の本は、三苗より出で、姜姓の別なり。その國、南岳に近し。舜の四國を流すに及び、れを三危に徒す。河關の西南の羌地、是れなり。賜支に潰して、河首に至る、綿地千里、南は蜀漢徵外豐夷西北部善車師諸國に接す。居るところ常なく、水草に依隨す。地に五穀少く、產牧を以て黨となす」とある。しかし唐時は、〓ね吐蕃、卽ち今の西藏を指して、西羌といつた。3延遷廷。30白起史記に「白起は、廊の人なり、善く兵を用ひ、敵を料り、鹽に合し、奇を出して窮まりなく、天下に震ふ」とある。E創決浮雪氣莊子に「天子の創、上は浮雷を決し、下は地紀を絕つ」とある。CI抗手孔叢子に「子高、趙に遊ぶ。平原君の客に都文李節といふものあり、子高と相善し。將に善に還らむとするに及び、諸の故人、訣れて既に畢る。文節、送行三宿、別に臨み、文節、流涕顯に変る。子高、徒に抗手するのみ、背を分つて路に就く」とあり、文選の李善註に「抗手とは、手を擧げて拜するなり」とある。5鐵衣木蘭詩に朔氣傳金桥、寒光照鐵衣とあるに本づく。たうじよくわんしたらきんごゑいじやうしやうぐんおのおのにんたいしやうぐんおのおのにんしやうぐんおのおのにんとうしやう【題義】唐書百官志に「左右金吾衞上將軍各、一人大將軍各一人、將軍各二人」とある。董將x LEふしやうしはくりきんごしやうそんとうぼうしたがせいきやうせいたうでぶ軍は、名字不詳。この詩は、白利といふものが、金吾將軍董某に從つて、西羌征討に出かけるのを送つて作つたのである。せいきやうしようとほんこくさいてきせいはつしばしへいうごな【詩意】西羌の稱ある吐蕃は、國際的征伐として、數ば兵を動かしたが、のびのびに成つて、まだ十ふんかたこんくわい:じうぼくこんむん총ひとこしゆつべいな分に片が付かない。そこで、今囘君は戎幕に參し、軍威を佐けて、愈よ出兵することに成つた。かえさる十うんきゆみめいげつ157おな:くて、劍を揮へば、浮雲の氣を切りまくるべく、弓を引けば、明月が輝いて居ると同じである。馬の〓ft 1しげはたげうてんしはま〓行くところには、邊地の草、なほ綠に茂り、旗を卷けば、曉天の霜の飛ぶ想がする。何は兎もあれ、すぢやうし覺えず心を傷ましめるばかりで、たせいぐんしやうしはいにん沙場の物凄じき景色は、征軍の將士輩が凛として身ぶるひを爲し、てあひだかんおうままつしやうねがくわうかんちやうく手を擧げて相願みつつある間に、寒風は颯として鐵衣に生する。願はくは、この荒寒に耐へて、長驅いちはやこうくんたこ千里、逸早く功動を立てて貰ひたい。送送白利從金吾童將軍西征