李太白卷十六あひだまたうだいさうしきようちうゑんりやくいだしゆくし世の{その宿志は、が雲の間を行くやうである。君は、もとより、當代の壯士、胸中には遠略を懷き、おというを〃かたぶつ紛転を解そんとやはかの六駿と同じ樣である。くに存し、矢張、かくて、苟くも義理に叶はねば、一物をも受けた、글ちうれんしんていひ伯夷叔齊が義として周の粟を顧みざるが如く、魯仲連が秦を帝とするを非として、その·yざず、たとへば、えbeへいでんくんほうどあた君わかいさぎよセル軍を斥け、やがて、平原君から封土を與へやうといはれたが、珪を分つことを屑しとせざると同じでんだえいだ÷にじくわくきよへいひめいしやうもとみ)ある。今次は劍を抱いて、父母に辭し、かの霍去病に比すべき名將の下に身を投ぜむとして居る。かちやうさくこのかくぞくそんりくわいふくおやくて、ひと一たび幕中に入れば、はくちう長策を以て河洛の賊軍を一掃して、その地を囘復し、その後、親を見舞なじよすみほしかへくよなにあつゆれてがらにきりんかくじやうたあとくい麒麟閣上ふ爲に、得意に成つて汝水の邊に歸つて來るが善い。何は兎もあれ、天晴の手柄を顯はし、そのざうとのびにワフ*はそのせいこうbに其像を留めて、千古の後までも、美名をへるやうにして欲しいと、ひそかに其成功を祈つて居る。【餘論】起四句は、六駿を敍し、税上駿は、はく猛虎さへ食ふといふ位、きとくらゐいた至つて强いものである處から、つよところちやうしう張秀: a)いうたん:くつきやうよ唐じ壯士懷遠略の才を以て、幽燕の賊よりも、もつと倔强なるものとなし、仍つて相比したのである。じんぶつしまてうぜつしようやういじゃうそうべつこ四句は、ちやうしうさい張秀才の人物志操の超絕なることを稱揚し、以上六句が送別の正意で、當令千古後、麟閣著奇動の二句は、前の匈奴繫頸敷應盡、明年應入蒲桃宮だの、旋應獻凱入、麟閣佇深功だのほいしやう封いちかた:やうたいつかはなは灣ぷと略ぼ意象を同じうし、いくら、李白でも、かう型に嵌つた樣な文句を使ふと、甚だ懐らず思はれる。ろくざんこうらくやうおとしい〓わうきし:そは長策掃河洛の王琦は「この詩、當に祿山寇して洛陽を陷るるの後に作るべし」といつたが、かくたうもやうしうさい달じんだっかくべつ를;格別その名を留一句に本づいたので、まさしく確當であらう。張秀才は、一かどの人物と見えるが、ところみめぬ處を見ると、せつかく折角ながら、こうみやうてがらこをはみ功名手柄を顯はさずに終つたものと見える。送崔度還吳。度故人禮部員外郞國輔之子こじんれいぶあんぐわいらうこくほ崔度の吳に還るを送る、さいどにど度は故人禮部員外郎國輔の子、にいうえんさせつほんりことごとくわううん幽燕沙雪地。萬里盡黃雲。幽燕沙雪の地、萬里盡く黃雲。(三)てうするしうがんたなんびひいくぐん朝吹歸秋雁〓南飛日幾羣。朝吹、秋雁を歸し、南飛日に幾羣。あいめい哀鳴九天聞.なかニほう:きうてん中有孤鳳雛。中に孤鳳の雛あり、哀鳴、九天に聞こゆ。chaすなはこのとりおさいしやうしよくわか我乃重此鳥。綵章五色分.我乃ち此鳥を重んじ、綵章五色分る。四)じんほんきんまじけいぼくかろがうまをが若し·胡爲雜凡禽。雞鶩輕賤君。胡すれぞ、凡禽に雜り、雞鶩、輕しく君を賤む。てなんぢあしささcasや。擧手捧爾足。疾心若火焚。手を擧げて爾の足を捧げ、心を疾ましむること、火の焚く(五)はね125約大あんaれ、ごかう拂羽淚滿面送之吳江漬。羽を拂つて、淚面に滿つ、送つて之く吳江の潰。きよえいたちまみちうちよ:ん去影忽不見.躊躇日將曛.去影忽ち見えず、躊躇、日、將にはせむとす。【字解】5國燕古しへの國州で、後に燕に成つたから云ふので、今の直隷地方。3朝吹朝風。E·九天九は陽の大數なるが故に冠したのである。鍛蠶驚は家鴨。C吳江漬吳江は、吳地を貫流する長江の本支を併稱したので、演は送送羅度還吳度故人禮部員外郎國輔之子七一七