李太白集季十庫、すでに前に見ゆ。じほん=【題義】度故人禮部員外國輔之子の十一字は、自註であつて、一本に題下に割註にしてある方が體をさいこくほ:得て居る。唐書藝文志に「崔國輔、縣令の擧に應じ、許昌令集賢直學士禮部員外郎を授けられしが、~달崔〓王鉄の近親に坐して、竟陵郡司馬に貶せらる」とあり、唐詩品彙に「崔國輔は吳郡の人」とある。ccその子の崔度は、國輔は、當時世に知られた詩人であつたが、名字関歷、ともに不詳である。しかしa :えこきやうごこの詩を見ると、久しく北方幽燕の地に居たが、兎角不遇にして、志を得ず、やがて故〓に還るとおていふので、李白は、乃ち其行を送る爲に、この詩を作つたのである。isかず【詩意】幽燕は、北方荒寒の地で、風沙と氷雪とに閉ぢこめられ、見わたす限り、萬里の果までも、5がん2원黃色に曇つた雪げの雲が低く立ち籠めて居る。かくて、朝風は、秋の雁を吹き送り、日ごとに幾擧と志々ひ元なく、南飛する。その雁羣の中に、鳳風の雛が、一羽まじつて居て、悲しげに鳴く聲は、九天に聞こぼんきん元と此鳥を重んじ、える位。われは、その文彩、爛然として、五色分明なるを見、いかなれば、凡禽は+しrに立ちまじり、鶏や家鴨などに馬鹿にされて居るのであるか、まことに不思議で堪まらぬ位。まニ¥2で、手を擧げて風雛の足を捧げて、戀に之を劬はり、かの雞驚を憎む心は、さながら火の焚えると同:)買じである。やがて、其羽に染みて居る塵などを拂ひ去り、滿面の淚を抑へつつ、これを送つて、その中に故〓なる吳江の邊に歸らしめ、見えなくなるまでも、佇立して、その影を目送し、去りがてにして居集季十옴る間に、夕日は、暮れなむとし、一しほ、寂寥の想を爲した。でけんりうぎよひ:【餘論】全體が比の體で、極めて面白く出來て居る。乾隆御批に「哀痛の音、故舊に篤く、自ら深情1に古글た上にを見る」といひ、嚴滄浪は「須らく、人、かくの如く、才を憐むを知るべし」といひ、ともに成程resと頷かれる。送祝八之江東〓賦得浣紗石れ祝八の江東に之くを送り、浣紗石を賦し得たりを西施越溪女。西施は越溪の女、に雲海。か明監光明監、雲海に光る。い未入吳王宮殿時.未だ吳王の宮殿に入らざる時、浣紗の古石、浣紗古石今猶在.今猶ほ在り。桃李新開映古査。낱ま桃李新に開いて、古査に映じ、菖蒲猶短出平沙。are菖蒲猶ほ短く、平沙を出づ。昔時紅粉照流水。昔時は紅粉、流水を照らし、送送祝八之江東賦得浣紗石【字解】5明醫容貌の配對しくきらびやかなること。3海雲なす海。S古査査は水中の浮木。三菖蒲猶短菖蒲の芽の纔に出たばかりなるをいふ。C超愈遠き貌、王巾の頭陀寺碑文に東望ニ平學一千里超恕とある。