李太白集卷十六「漢に明光宮三あり。一は北宮に在り、長樂宮と相連るもの、武帝の太初四年に起る。即ち王商の指借し、以て暑を避けむと欲するところの者なり。別に明光宮あり、甘泉宮中に在り、亦た武帝の起すところ、蒸趙の美女三千人を發して之に充つ。尙書郞、文書を作リ、起草するを主るに至り、更めて建禮門內に直す、すなはち明光殿に近し。建禮門內、神仙門を得、神仙門內、明光殿を得、省中皆胡粉壁に塗り、丹を以て地に漆す、これを丹墀といふ。尙書郞、蘭を握り、雞舌香を含んで、事を奏す。これ明光殿、その方向を約するに、必ず未央正宮殿中に在らむ、北宮甘泉、奇玩を設爲する者と比せず。すなはち、臣下事を奏するの地なり」とあつて、王琦は「養ずるに、太白の用ふるところ、正に明光殿を指し、しかも、宮の字を借用するは、以て韻を趁ふのみ」とある。【二】二龍世說に「謝子徹、許子將兄弟を見て曰く、平奧の淵に二龍あり」とある。E平衞謝靈運の詩に平衡修且直とある。C2高足古詩に何不策高足とあつて、李善の註に「高は上なり、又逸足を謂ふなり」とある。;じうていふたりじぶんくわんしげんもやうあんじやうきやう穴【題義】この詩は、魯中に居た時、從弟二人が例の文官試驗を受ける爲に、長安に上京するのを送にんぞくていくわうまだ〓詩中にも二龍つて作つたのである。一本には「族弟鍠を送る」とあるさうだが、題に二從弟といひ、みたおちほかいまひとb去といひ、もと二人であるから、李鐘の外に今一人あるべき譯である。たいりうちやうあんにしむかわら:た、つて滯留して居るが、【詩意】われは、今魯中の客とな長安の事を聞けば、おもはず西に向つて笑ふわうじつしゆつこにのへゑんぜんむ:おもしづじやうので、往日出入せし九重の宮門は、宛然として、夢中の想を爲すばかり。身は逐臣となつて、頭上の髪は、追追白くなり、おりおけしろ日として、明光殿を思はぬことはない。ざる羨むべきは、루汝等二人、なんぢらふたり今次、えたじやうきやう上京すさいくわたうせいくわんゆうけつ녹たんたんたいだうじるとのことで、その才華は、當世に冠として、その雄傑を稱すべく、やがて、坦坦たる大道に向つてただにはははしのおにレせんきふだいおひおひりつしん名馬を馳せ、力ある翼を振つて、長風を凌ぐと同じく、きつと、試驗に及第して、追追立身することわかれまひそでしうげつかげはらえんじゃうチCH3をはごであらう。ここに、別を爲すに際し、舞の袖は秋月の影を拂ひ、筵上の歌を唱へ終れば、やがて、雁元:へだふたたでの聲が聞こえる。これより、君は、日ごとに千里を隔つべく、どうして、再び良會を爲すことが出なドをし來やうか、まことに、名殘の惜まれることである。ヒ2じうていみぶんけつこPEかん【餘論】起四句は自己の現狀、次の四句は二從弟の身分、結四句は送別の正意で、殆んど遺憾なく言ひをほせて居る。けつこ結四句は送別の正意で、PEかん殆んど遺憾なく言奉餞高尊師如貴道士傳道錄畢。歸北海だうしだうろくつたをはほくかいたいせんたてき高尊師、如貴道士が道錄を傳へ畢り、北海に歸るを餞し奉るC 01 ceどうてんぎう道隱不可見。靈書藏洞天。道、隱れて見るべからず、靈書、洞天に藏す。まんごふれきせいたがひあひつた吾師四萬劫。歷世遞相傳。吾が師四萬劫、歷世遞に相傳ふ。腓杖留靑竹。行歌躡紫煙。せいちくと上別杖、靑竹を留め、行歌、紫煙を躡む。離心無遠近。長在玉京懸。k見んきんながぎよくけいかか離心、遠近なし、長く玉京に在つて懸る。【字解】【一】道隱不可見老子に「道隱れて名なし」とあつて、河上公の註に「道は活隱、むるなり」とあり、莊子にも「道は聞くべからず、聞けば非なり。道は見るべからず、見れば非なり」とある。C【一】道隱不可見老子に「道隱れて名なし」とあつて、河上公の註に「道は活隱、人をして能く指名すること無からしとあり、莊子にも「道は聞くべからず、聞けば非なり。道は見るべからず、見れば非なり」とある。C雲書太平御送奉錢高尊師如貴道士傳道篆學歸北海