太白集卷十六覽に「後聖道君列記に曰く、刻するに紫玉を以てして簡となし、青金を文と爲し、龜母筆を按じ、眞章筵を拂ひ、玉童編を結び、名づけて靈書度人經といふ。この二章、竝に是れ諸天上帝及び至雲覽王隱祕の番、皆此れ大梵の言、世上の常辭に非ず、言に報壓なく、曲に華宛なし、上天の寶とするところ、京都業徵上宮に祕す、支科に依つて四萬劫に一たび傳ふ」とある。別杖留青竹後漢書に「費長房、強公に隨從して深山に入る。長房辭して歸る。前、一竹杖を與へて曰く、これに騎し、之くところに任かせば、自ら至らむ。すでに至らば、杖を以て葛陵中に投すべし、と。長房、杖に乘じ、須臾にして來歸す。杖を以て、骸に投じ、顧視すれば、龍なり」とある。E玉亨前に見ゆ。ほくかい줄ぐんめい古庄せいしうかなんだうれいぞくしかうそんしじよきだうレホ【題義】北海は唐時の郡名、卽ち靑州で、河南道に隸屬して居た。この詩は、高尊師、如貴道士の二ちやうあんしが3おいだうろくいよいだうじゆつしゆぎやうすほくかいかへおくく人が、長安紫徽宮に於て道錄を受け、急よ道術の修行が濟んで北海に歸るを送つて作つたのである。,ちうたいだうせんいういんびしたがだうかしゆぎやうむ【詩意】宇宙の大道は、潜幽隱微にして見るべからず、從つて、道家の修行は、なかなか六つかしみちあうびかきしるした霊書は、Lきうひざうまんごふでんい。その道の祕奥を書紫微宮に祕藏されてあつて、四萬劫を經て一傳し、代代こくんこんくわいいよいそのだうろくこでれを受け繼いで居る。二君も、今囘愈よ其道錄を許されたので、これ位、お目出たいことはない。べつじあにおいちくっム:かへかうかしえんかくて別時に與へられた靑竹の杖に騎して、その之くが儘にして歸り、それから、行歌しつつ、紫煙せいてんかまはわかれわらゑんきんをがてんじやうはくぎふくげいかかを躡んで、靑天を驅け廻ることであらう。ここに、別の愁は遠近なく、長く天上の白玉京に懸つて居る。っけいしきに在三四の一職は散體を以て之を行つたのである。れんさんたい··こうれん【餘論】これは五律の形式を備へて居るが、後聯は、じ:めいせい1/3たべつじやううつRえ措辭極めて明観。離愁の句は、唯だ一語千古の別情を寫し盡し、そして、長在玉京懸の句を得て、へりべりせんいんな縹緲たる仙音を爲して居る。だいたいぶ大體に於て、じわらいあひかな題と恰も好く相稱ひ、かきんけんて且つ緊健に出來て居る。きんりよう둥されとうごあそおく金陵送張十一再游東吳金陵にて張十一の再び東吳に游ぶを送る張翰黃花句.風流五百年。もやうかんくわうくねふうりう久張輸黃花の句、風流五百年。たれびとじ·つ、亮よよけんしよう誰人今繼作.夫子世稱賢.誰人か今繼いで作る、夫子世賢と稱す。十六=あぞ4 2ほいふね:再動遊吳棹。還浮入海船.再び吳に遊ぶの棹を動かし、還た海に入るの船を浮ぶ。春光白門柳. )んんんわらにく厚かしよくせきじやうてん霞色赤城天春光白門の柳、霞色、赤城の天。≦わかれながただおおのおのいまか去國難爲別。思歸各未旋.國を去つて別を爲し難く、歸るを思うて、各。未だ旋らず。むなかごなんだのあひかへりるぜいぜん空餘賈生淚。相顧共悽然.空しく、賈生の涙を餘し、相顧みて共に悽然。【字解】3黃花句張輪の詩に青條若總翠、黃花如散金とある、この黄花は菊でなく、菜の花である。3)白門胡三省の通鑑註に「白門は建康城の西門なり、西方は色白し、故に以て稱と爲す」とあり、古しへの楊叛兒曲に暫出ニ白門前、楊柳可蔵鶏とある。赤城台州府志に「赤城山は、天台縣北六里に在り、一名燒山、石皆霞色、これを望めば雉塚の如し、因つて以て名となす。孫綽の賦に謂はゆる赤城置起而建標とは、是れなり。支道の天台山銘の序に日く、天台山に往く、當に赤城より道と爲すべしと。而して、神邑山圖、亦た赤城を以て天台の南門となし、石城山を西門となすなり」とある。6賣生淚王琦は漢書に「買誼、自ら傅となつて無狀なるを傷み、常に哭泣す」とあるを引いたが、これは、治安策に於て、痛哭太息すべきものがあるといつた其事金陵送張十一再游東奥