李太白集卷十六な指したので、卽ち時事に感憤したことに相違ない。きんりよういなんきん죽はいかうゆいじふしやうきんり上うおいちやうぼうふたた=【題義】金陵は今の南京、張十一の十一は排行、名字は不詳。この詩は、金陵に於て、張某の再び呉おくつくに遊ぶのを送つて作つたのである。ちやうかんふうりうこうせいらうえいいぬん【詩意】張翰は、黃花如散金の一句を以て世に知られ、その風流は後世に朗映し、今すでに五百年そのひとふうりつたれしようけい夫子は代代費と稱せられた人で、よげんを經た。その風流を誰が承繼して居るかといふと、まさしく、其人いまちみ古さをさふたたごあそたいかいうかだ(であらう。今君は、舟に棹して、再び吳に遊び、はては、大海に浮び出さうといふので、愈よここをしゆつはつ$しゆんくわうはくもんだこせきじやうてんえいたび出發される。時しも、春光は白門の柳を籠め、霞色は赤城の天に映じて見え、旅をするには、持つてらせつ〓かくちうFじやうことs來いといふ好期節である。さはれ、われは國を去つて此に居る客中の身であるから、別離の情殊に苦またかへおのおのかへ〓じじかうがいつうこくちやうたいそくしい。又歸りたいと思つて居ても、各歸り得ずして居る。おまけに、時事に慷慨して、痛哭長太息か1쿨あひかへりせいぜん古しへの賈誼の如く、〃すること、さながら、相顧みて、ともに悽然たるばかりである。いちやうぼうりよかうちやうほう張某が古しへの張輪の後繼であるといふ意、再動遊吳樟の四句は、ちやうかん【餘論】起四句は、張某の旅行せつだうきふかそうべつこげいくわくおう以下四句は、の計畫と其期節とに道及し、送別の正意である。ゆいじふしやう名字は不詳。きんり上うおい金陵に於て、ちやうぼうふたた=張某の再び呉この詩は、ちやうぼうりよかう張某の旅行しうさいあつまこだ紀秀才の越に遊ぶを送るかいするみまる海水、眼に滿たざれば、濤を觀るも、送紀秀才遊越海水不滿眼.觀濤難稱心.かながた心に稱ひ難し。卽知蓬萊石。却是巨〓簪。店しほうらいかへ こきとがう卽ち知る蓬萊の石、こしん却つて是れ巨鰲の簪。送爾遊華項令余發鳥吟。€たんじくわちやうあそた上せきぎんはつ爾の華頂に遊ぶを送れば、余をして鳥吟を發せしむ。仙人居射的道士住山陰:せんにんしやてきだうしさんいんす仙人、射的に居り、道士、山陰に住む。(tyちけつたに〓禹穴尋溪入。雲門隔嶺深。,うんもんみねんだふか禹穴、溪を尋ねて入り、雲門、嶺を隔てて深し。あひおも綠蘿秋月夜。相憶在鳴琴。めいきん綠蘿秋月の夜、相憶ふは鳴琴に在り。【字解】【一】蓬萊石、巨鯊警初學記に「玄中記に日く、東澤の大なるもの、巨薫あり、背を以て蓬萊山を負ふ、周圖千里」とある、巨鰲は巨龜。華項一統志に「華項山は、天台縣の東北六十里に在り、同圖百餘里、高さ萬丈、絕項より、東、滄海を望む、俗.望海尖と名づく、草木薰都、すべて人世に非ず、耳、積雪あり」とある。3鳥吟王榮登樓賦に荘鳥顯而越吟とあるに本づく、その詳、前に見ゆ。三射的隣文類聚に孔曄の會稽記を引いて「縣の東南十八里に射的山あり、遠望的的、射候の如きあり、故に之を射的といふ。射的の西に石室あり、方二丈ばかり、これを射室といふ」とある。욥道士住山陰卽ち王義之が道德經を寫して鶏に換へて來た其道士で、すでに前に見ゆ。禹穴方奥勝覽に「禹穴は、紹興府龍瑞宮の側に在り」といひ、縣耕錄に「會稽の陽明洞天は、秦望山後、萬廟の西南に在りと云ふ、卽ち古しへの禹穴、越の勝境なり」とある。或は委宛山が卽ち萬穴だといふ說もあるが、それは誤つて居る。5雲門水經註に「山陰縣南に玉筍·竹林·雲門·天柱の精舍あり、竝に山を疏し、基を創め、林を架し、字を戴し、湖を割き、流を延き、泉石の好を盛す」といひ、施宿の會稽志に「雲門山は、會稽縣南三十里に在り。舊經に云ふ、管の職然二年、中書令王子敬、ここに居る。五色の雲あつて見はる。留して、寺を建て、雲門と號す。山に謝敷宅、何公井、好泉亭、王子敬の山亭、永祿師の臨書關あり」と記してある。店しほうらいかへ こきとがう卽ち知る蓬萊の石、こしん却つて是れ巨鰲の簪。たんじくわちやうあそた上せきぎんはつ爾の華頂に遊ぶを送れば、余をして鳥吟を發せしむ。せんにんしやてきだうしさんいんす仙人、射的に居り、道士、山陰に住む。けつたに〓,うんもんみねんだふか禹穴、溪を尋ねて入り、雲門、嶺を隔てて深し。あひおもめいきん綠蘿秋月の夜、相憶ふは鳴琴に在り。送送紀秀才遊越