李太白集卷十六ししんし5ゑつあそ汽〓ccえつれきとうさいふしやう【題義】この詩は、進士紀某の越に遊ぶのを送つて作つたのである。紀の名字閱歷等は、一切不詳。:なみみうみる:まなこみ【詩意】海を觀るには、濤を觀るべしといふが、海は海でも、狹くては不可ないので、もし眼に滿たBせつかくなみたうていこころかなくわいさいaなほうらいざんぬ程であれば、折角濤を觀ても、到底心に稱うて快哉を叫ばしめるやうには成らぬ。蓬萊山といふも、ひろひつきやうおほがめ中央上一寸載かんざしやう畢竟するに、大龜の頭に、つて居る、いはば簪の樣なものに過ぎぬ。されば、觀るところが廣しんきようかいたくでりよかういうらんひつえうくなければ、心胸を開拓することが出來ないので、それにつけても、旅行游覽は、まことに必要なもおほさうせきゑつぎんたんたゑつらうがてんだいくわちやうざん山に遊ぶを送れば、あそよのである。ここに汝が越中に向ひ、天台の華頂予をして、覺えず、莊鳥の越吟をはつ&bしようきやうきはおほしやてきざんせんにんさんいんたがか發せしめる。越の地たるや、勝境極めて多く、射的山には仙人が住んで居るし、山陰は例の鶏を飼つことゐち,けつけいりうモたっうんもんじみぬへだ:達た道士の住んで居た地であるし、禹穴は溪流に沿うて尋ね入るべく、雲門寺は嶺を隔てて山の極めてふかとこちあこことしようちたっあひだぶりふくちしうやあたたいだん深い處に在る。君が此等の勝地を尋ねる間に於て、綠蘿に月の照る秋夜に遇はば、必ず琴を彈じて、い。だわれを憧ひ出すことであらう。ひじやうごなマがんこうだい別ひじやうひとげんさうもうはだびやう一【題義】嚴滄浪は、破題の四句を評し「起二句、眼孔大、非常の人、非常の語を爲す、二くTHEたんそのとほたけつかん句は便ち誕」といつたが、いかにも其通りて、蓬萊巨鰲は、竹に木を續いだやうな感がある。仙人のゑつちうしようがいれつきよよじやうつじゆくたふだは入四句は、越中の勝〓を列擧し、綠蘿の二句は、餘情盡きず、まさしく、熟套を打破し得たので、ここ:にきところらは、流石に李白といひたい處である。ちやうさちんたいしゆおく남長沙の陳太守を送る二首ちやうさちんたいしゆいつきせいしようしの長沙の陳太守、逸氣、靑松を凌ぐ。はえいしゆた本と是れ天池の龍。りよう英主、五馬を賜ひ、しやうすみきうきよくなかうざん:のを湘水九曲を廻らし、衡山、五峰を望む。まっあんえ冶あひしたがおエ君が節を按じて去るを榮とし、遠く相從ふに及ばず。送長沙陳太守二首長沙陳太守.逸氣凌靑松。英主賜五馬本是天池龍湘水廻九曲衡山望五峰。榮君按節去。不及遠相從。【字解】E天池龍庚信の春賦に馬是天池之龍種とある。C湘水廻九曲水經註に「衝山東南二西、湘川に臨映す、長沙より此に至る、江湖七百里中、九背あり、故に漁者歌うて曰く、帆隨湘轉、望衡九面」とあり、藝文類藥に引ける潮中記に「遙に衝山を望めば、陣雲の如し、湘に沿ふこと千里、九向九背、乃ち復た見えず」とある。C衡山望五峰通鑑地理通釋に「衝岳は、潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽縣北七十里に在り。五峰あり、曰く、紫蓋、天柱、芙蓉、石糜.祝融」とある。E按節史記の索隱に「郭璞云ふ、言ふは響を頼するなり。司馬彪云ふ、轡を按じて行けば、節を得、故に節を接ずといふ」とある。卽ち馬の手綱を緩めること。ちやうさたうとんめいすなはたんしうかうなんせいだうれいぞくしちんぽうあらたちやうさた【題義】長沙は、唐の郡名、卽ち潭州で、江南西道に隷屬して居た。この詩は、陳某が新に長沙の太しゆ표ふにんれこんceえっれきとうれい굴んしやう守に補せられて赴任するのを送つて作つたのである。陳の名字閱歷等は、例の如く不詳。えちやうさたいしゆにんのいちんくんあつぼれじんぶついつきせいしようしの【詩意】今次、長沙太守に任命された陳君は、まことに天晴な人物で、その逸氣は、靑松を凌がむばおほいせくばなてんちりようしゆしようたにまほどたかりで、大に俗離れがして居る。それから、天池の龍種とも稱すべき名馬五頭を、天子より賜はり、送長沙陳太守七三、