*太白集卷十六かうしやうながれそれに騎して、任地に向ふことである。やがて、長江を渡つて、衡湘一帶の地へ往くと、湘水の流出エかうざんスは、うねつたり、くねつたりして、凡そ九曲と稱せられ、衡山の五峰は、目の前にはつきりと見えは〓はや近いたうちやくる。君が手綱を緩めて、しづしづと練り行かれるのは、まことに榮譽の極で、早く任地に到著して、ニ1今後政績を擧げられるのが善いので、いたづらに、別を惜んで、遠く相從ふやうな眞似は、斷じて爲さぬ。ぜんほんこ進たる달:【餘論】前半四句は一氣呵成。湘水、衡山の二句は、本地の風光を點醒して、人の眉目を〓うする。示結二句は、翻つて之を激勵する意味である。進たる本地の風光を點醒して、달:人の眉目を〓うする。七郡長沙國。南連湘水濱.さんちやうさ¥南ぬCafほとり七郡長沙の國、連る湘水の濱。定王垂舞袖.地窄不廻身。〓is :に定王、舞袖を垂れ、地窄くして身を廻らさず。:ご: ;ゑんぞく莫小二千石。當安遠俗人。二千石を小とする莫れ、當に安んずべし遠俗の人。Sin 24湖庭〓路遠。遙羨錦衣春。洞庭〓路遠く、遙に羨む錦衣の春。【字解】E七郡唐時の潭州長沙耶、衞州衡陽郡、永州零陸郡、連州連山郡、道州江華郡、彬州桂陽郡、邵州部陽郡、この七郡は、秦漢の時に於ける長沙の故地であつた。【三】定王垂舞袖前に見ゆ。C二千石漢時太守の秩、故に直に太守を指す。F洞庭長沙へ行く路に當つて居る。にえはんしょうかた選られんせつ【詩意】古しへ謂はゆる長沙國は、今の七郡を汎稱したもので、南の方、湘水の濱に連接して在つた。ていわうこんをなにぶんほ노:き漢の長沙の定王は、父景帝の御前で、變な手つきをして踊り、何分場所が狹くして、自由に身を動か君すことが出來ぬと、あてこすりを言ひ、その爲に大に封土を增されたといふことである。しかし、35へきゑんせうみん1)は君は、二千石の秩を以て小と爲さず、專心一意、政を勵んで、僻遠の小民を安撫するが善い。は、ええ2元と洞庭附近の產で、今次赴任するに就いては、〓路を通過せられることであらうが、錦衣きらびや:滋賀yおやらseかに、折からの春景色に輝いて見えるのは、まことに、羨ましいことである。ぜんほんぜんしゆ選造【餘論】この首も、前半は一氣呵成で、前首と大に類似して居る。それから、政を勵むべきこと、まつたいしやう故〓に錦を飾ることを述べ、すべて、前首とは全く異なれる意象を詠出した處は、まさしく、連作の體を得たものである。造を勵むべきこと、まさしく、連作のやうえん〓楊燕の東魯に之くを送るくわんせいかんじつも關西の楊伯起、漢日舊と賢と稱す。だせいふう四代三公族、〓風、人天に播く。くわいんぎよくれんな夫子、華陰に居り、門を開いて玉蓮に對す。送楊燕之東魯〓關西楊伯起.漢日舊稱賢。四代三公族。〓風播人天。〓夫子華陰居.開門對玉蓮。送送楊藩之東魯夫子、