李太白集卷十六送蕭三十一之魯中。兼問稚子伯禽: 5:蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ11 5六月南風吹白沙。六月、南風、白沙を吹き、に; 3ゆ吳牛喘月氣成霞。吳牛、月に喘いで、氣、霞を成す。(三)すゐこくうつじよう水國鬱蒸不可處.水國鬱蒸、處るべからず、かうしや時炎路遠無行車。時炎に、路遠くして、行車なし。효わ.夫子如何涉江路。夫子如何ぞ、江路を涉る。うんぽんでうでう雲帆嫋嫋金陵去。雲帆媚婦、金陵に去る。( (六)かうだう高堂倚門望伯魚。高堂、門に倚つて伯魚を望む、魯中正是趨庭處。魯中正に是れ趨庭の處。&かたはら我家寄在沙丘傍。:我が家、寄せて在り沙丘の傍、むなだんちやう三年不歸空斷腸。三年歸らず、空しく斷腸。まづ君行既識伯禽子。君が行、すでに識る伯禽子、【字解】【一】南風吹白沙音書惠帝元康中京洛の童譲に「南風起、吹白沙、遙望ニ魯國 何嵯峨、千歲個讓生齒牙ことある。E吳牛喘月風俗通に「吳牛、月を見て喘ぐ。言ふは、これをして、日に於ける若くこれが故に、月を見て喘ならしむ。ぐ。蓋し、傷禽は虚弦に驚き、彼牛は月を望んで喘ぐ。物の憚怯、似たるを見て驚く、此の如きものあり」とある。つまり、吳牛は、輩、日光の暑いのに苦んで居るから、花、月を見ても、矢張、日ではないかと思つて喘ぐといふ意。3鬱蒸もやもやして蒸し暑きこと。〓無行車程曉の詩に、平生三伏時、道すでに識る伯禽子、〓應駕小車騎白羊。;應に小車に駕して白羊に騎すべし。路無行車とあるに本づく。3倚門戰國策に「王孫買の母曰く、家語に「伯魚の生まるるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子にc沙丘前に見ゆ。〓騎白羊世說註に「衞〓、師汝、朝に出でて晩に來れば、吾、門に倚つて望む」とある。8伯魚家語に「伯魚の生まるるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜ふ。君の睨を榮とし、故に因つて鯉と名づけ、伯魚と字す」とある。c沙丘前に見ゆ。〓騎白羊世說註に「衞〓、師齔の時、白羊車に洛陽市上に乘ず、威な曰く、誰が家の壁人」とある。じめいじわかよ【題義]蕭三十一の三十一は例の排行で、その名字は分らぬ。稚子伯禽は、李白の子で、この時、ま:ら)회だ魯中に寄寓して居たのである。そこで、この詩は、蕭某の魯中に之くを送り、併せて、稚子伯禽に近況を問うたのである。I〓た【詩意】夏の季の六月、たださへ暑いのに、南風は白沙を吹き上げて、愈よ堪まらない。そこで、吳こ1/8ゆおよくandすや地の牛は、夜になつても、月に喘いで、その氣は霞を成すを疑ふばかり。このあたりは、水國で、涼ひ蒸し暑く、〓〓inしかるべき筈であるのに、もやもやととても留まつて居ることも出來ない位。かくの如くあつこと赤いは暑さも嚴しい上に、路が遠いから、さしもの驛路にも、旅行く車も見えない。然るに、君は、如何なわらる±かげでうでう2れば、江路を渉り、雲井に迷ふ帆影媚媚として、金陵から立ち去るのであるか。われは、日夕門に倚ま云カいつて、わが長子の居る方を望んで居るが、その趨庭の處は、君が今度行かれる魯中である。今でも、ごきんぼう.したが:我が家は、沙丘の近傍に寓居して居るが、われは、三年も歸省せず、從つて、その近況も分らぬから、ぶむなだんちやうま: 10にて,これを思へば、空しく斷腸するばかり。君は、魯中に行く序に、どうか、わが子の伯禽を見知つて下送送蕭三十一之魯中兼同稚子伯禽七三九よこの時、ま稚子伯禽に