李太白集卷十六げんりうぎよひおこたんげんはん乾隆御批には「逸氣を短言に蟠し、ところにどくぜつひつちた處は、例の獨絕の筆致であらう。りうちうしぜん膳お一氣流注、自然に仙氣を帶びいよいきはんおぼ彌よ奇健を覺ゆ」といひ、:兎に角、いんしゆくた背。殷淑を送る三かいすゐとおつBr 1/3しほ海水解くべからず、江に連つて、夜、潮となる。がぜんほしよひろこしゆせんはるか俄然として浦嶼閻く、岸を去つて酒船遙なり。Proをし緣とたちうなかちやうえう別を惜んで辭を取るに耐へたり、榔を鳴らして、且つ長謠。てんめいなんちままさべんおうひるがへ天明、爾.當に去るべし、應に便風の飄るあるべし。いんしゆくた背。送殷淑三首殷淑を送る三かいすゐとおつBr 1/3しほ海水不可解。連江夜爲潮。海水解くべからず、江に連つて、夜、潮となる。(一)がぜんほしよひろこしゆせんはるか俄然浦嶼關。岸去酒船遙。俄然として浦嶼閻く、岸を去つて酒船遙なり。ここProをし緣とたちうなかちやうえう惜別耐取醉.鳴椰且長謠、別を惜んで辭を取るに耐へたり、榔を鳴らして、且つ長謠。てんめいなんちままさべんおうひるがへ天明爾當去。應有便風飄。天明、爾.當に去るべし、應に便風の飄るあるべし。【字解】5浦嶼韻會に「浦は水濱」、「嶼は海中の洲」とあり、劉淵林吳都賦の註に「嶼は澤中の洲、上に石山あるなり」とある。E電車潘岳西征賦に鳴梛属等とあつて、李善の註に「說文に云ふ、榔は高木なり、長木を以て、船を叩いて聲を爲す、魚を驚かして網に入らしむる所以なり」とある。一覽「擲は船板なり、船行けば響く、これを鳴榔といふ、駱實王の詩、鳴椰下貴洲沈佺期の詩、鳴極曉帳前、是れなり」とある。そこで、王琦は之を解し「太白の此篇の若きは、客を送る、漁を觀るに非ず、舟を停め酒を飲む、帆を挂けて長行するに非ず、謂はゆる鳴擲は、當に是れ船を擊つて、以て歌聲の節を爲すべし、猶ほ魅を叩いて歌ふの義」といつた。がんしんけいげんせいせんせいくわうりようきくんひしんけいせんせいもんじんちうりんしいんしゆくゐこゐきよぼう【題義】顏眞卿の元靜先生廣陵李君碑に「眞卿、先生の門人、中林子殷淑、遺名子章渠牟と、かつてしんけい「眞卿、せんせいもんじん先生の門人、ちうりんしいんしゆく中林子殷淑、ゐこゐきよぼう遺名子章渠牟と、【題義】かつてさいしんいうしよごえ$店長いいんしゆくしいき22采眞の游〓を接し、含一の德を聞く」とあつて、卽ちここに謂ふ殷淑であらう。この詩は、李白の般しゆくゑんかう천ととわかいんしゆく달にじえつれきとう淑の違行を送つたのであるが、何處から何處へ往つたのか、分らぬし、般淑その人の名字閱歷等も、な:さいふしやう例の如く一切不詳である。かいすゐへんくわわかかうすゐつらなゐところ÷しほ【詩意】海水の變化は、まことに分らぬものであるが、江水に連つて居る處では、夜、潮となつて、しほたいえいRFみまていしうgはいうぜん差し込んで來る。かくて、潮が盈盈として漲れば、見る間に汀洲も關くなり、酒を載せた游船も、岸〓50ところうかやうなprn는2ぶんはふないたCH3ちやうえうを隔てて遙かの處に浮ぶ樣に成る。ここに別を惜む上は、十分に醉を取るべく、船板を敲きつつ長謠とっゐよまた:して、時の移るに任かせて居る。かくて、夜が明ければ、君は此處より立ち去るべく、その折しも、おつてじゆんぶうムまむちとこへいそん追手の順風が吹いて、君の旅路も、極めて平穩であらう。ぜんばんかうじやうやしうこうはんすなはそおそうべつ:せつえんぎ上【餘論】前半は江上夜舟の景況、後半は卽ち其處に於ける送別の正意で、結二句、緣起の善いことをヨツ,ヒしょくぼう言つて、この行の無事ならむことを囑望したのである。せつ結二句、えんぎ上緣起の善いことを白鷺洲前月.天明送客囘。靑龍山後日。早出海雲來流水無情去。征帆逐吹開.送送殷淑はくろしうぜんってんめいおくかい式白鷺洲前の月、天明、客の囘るを送る。せいりようさんごはやかいうんいた靑龍山後の日、早く海雲を出でて來る。りうすんむじやうせいはん:お낱流水、無情に去り、征帆、吹を逐うて開く。