李太白 集卷十六たかのにばんこみくわうせい름お登高覽萬古。思與廣成鄰。高きに登つて、萬古を覽、廣成と鄰らむを思ふ。むししやう,かへしんらみ1蹈海寧受賞。還山非問津。海を贈むも擧ろ賞を受けむや、山に還るは沖を問ふに非ず。に一せいらい달たうご修げんき西來一搖扇。共拂元規塵。西來、一たび扇を搖かし、共に拂はむ元規の塵。【字解】E相門子王時の解に「按ずるに、半參感奮賦の序に云ふ、國家六葉、吾が門三相。江陵公は中書令となつて太宗を輔け、郵國公は文昌右相となつて高宗を輔け、汝南公は侍申となつて睿宗を軸け、寵光を相承し、輪粥を厳出す。武后の朝に臨むに及び、郵國公、これに由つて罪を得たり。先天中、汝南公又罪を得、朱輪翠載、夢中の如しと。按ずるに、唐書に岑文本は郵州棘陽のく、祖善方は後梁の吏部尙書、父之象は隋の部戰令、貞觀中、文本、中書令に壓官し、江陵縣子に封ぜらる。從子長倩、永淳中、兵部侍郞同中書門下平章事に累官し、垂拱中、文昌右相に拜し、郵國公に封ぜられしが、來俊臣に誣陷せられ、市に斬らる。文本の孫義、累官して同中書門下三品に至り、景雲の間、侍中に進み、南陽郡公に封ぜらる。義の兄獻、國子司業となり、弟仲期は陝州刺史、仲休は商州刺史、兄弟子姓、清要に在るもの數十人。義嘆じて曰く、物極まれば反す、以て懼るべし、と。然れども抑退する能はず、太平公主の謀に與るに坐して、その家を誅藉せらる」とある。S雅望歸安石營書に「謝安、字は安石、幼より公輔の望あり」とある。CO奕世累世、代代。三憂龍堯の時の名臣。3中台竟三坼骨書天文志に「永康元年三月、中台屋拆す、占して曰く、台星常を失へば、三公憂ふと。趙王倫、尋いで買后を廢殺し、司空張華を斬る」とある。8九州伯營書に「祖玄曰く、父は九州の伯たり、兒は五湖の長たり」とある、父は即ち桓溫。C隊淪桓譚の新論に「天下の神人五、一に曰く神仙、ニに曰く隱論」とある。〓全眞莊子に「子の道、狂狂汲汲、詐巧虚爲の事なり、以て眞を全うすべきに非ざるなりいとある。盲獸莊子に「至道の精は窈窈冥冥、至道の極は昏昏默默」とある。col遊無垠淮南子に〓、需露の野に游び、T、垠の門に出づ」とあつて、高誘の註に「無垠は形狀なきの貌」とある。【二】厳陵、廣成、蹈海皆前に見ゆ。【一二】偃寒臣宏の後換紀に「伏して、太原の周富を見る、使者三聘、乃ち肯て車に就く、陸下親しくこれを庭に見る。伏して謂せず、優蜜自ら高うし、逡巡退くを求む」とある。優塞は驕傲。CII元規塵營書に「庾亮、外膜に居ると雖も、しかも、朝廷の權を執り、すでに上游に據り、强兵を擔し、趣向するもの、多く之に歸す。王導、内平かなる能はず、常に西風塵起るに過へば、扇を擧げて自ら蔽ひ、徐に曰く、元規の塵、人を汚す」とある。しんちょうくんしんさん초みめいかうかなんふりくこんけんあ:しやう。【題義】岑徵君は岑參で、すでに前に見えて居た。鳴皐は、河南府陸渾縣に在る山で、その詳は、矢にせつめい최ししんさんめいかうざんかっれため(張、說明して置いた。この詩は、岑參が鳴皐山に歸るに就いて、これを送る爲に作つたのであるしんさんしやつもんこうえいたうねんしやあんせき글こうほきりやうしうほう【詩意】岑參は、元と相門の後裔であつて、當年の謝安石の如く、公輔の器量あるものとして、衆望そのはやだいだいみなきりようiめいしんだちうだいこさこれに歸して居る。しかし、それも其筈、代代皆變龍の如き名臣のみを出したが、中台の星が坼けて、コにこうのでまこえかくべつりつしんなおよし도武后が朝に臨むに際して罪を得て、それからは、格別立身するものが無かつたのである。凡そ至人とじらおちそいうみやぶヘまさいしきうしう稱せらるるものは、すべての事物に就いて、其機兆を見破るものであり、その上、君の才識は、九州にかういたかてんちおやさあいんりんぼよ,の伯をも高揖するに足る位であるが、如何なれば、君は天地の間に在つて、隱淪の客として、世に打みちたふとおのみなそのしん·3·5くわうさいひとつて出ぬのであるか。かくて道を貴び、これを己が身に體して、能く其眞を全うし、光彩を潜めて、いうへきちかきやうちかうぐわわたるさえうめいこり、あひだいう:へんくわみしんしんな1: ;幽僻に近い境地に高臥し、玄理を探つて、窃冥昏默の間に入り、宇宙の變化を見て、心神を無窮の域あっぜんでんよかくりたライしうやうむねくわうぶてい15/35たこんに遊ばせ、全然、この世と隔離して、道家の修養を旨として居る。むかし、光武帝が天下を有つて天しなげんしりようともだちところ:らくやうくわうきよい子と爲つた時、嚴子陵は、その友達である處から、わざわざ招かれて、洛陽の皇居まで往くことは往いせんせつちさうほきよいうiいんじゃかうせつSんつたが、依然、その節を持して、巢父·許由の如き隱者の高節を屈することなく、因つて、千古に傳せ送送岑徵君歸鳴皐山。矢