李太白集卷十六ゐそのとはいかごといつらこ円たんられて居る。君も亦た其通りで、如何に天子から招致されても、むざむざと之に應ずることは斷じていふきうせいめいかうざんき:まをそれがしじないていないので、そして、今は其舊棲たる鳴皐山に歸臥するとのことである。かく申す某も、一時は内廷にせいめいしゆほたとmえんけんけうがうしんしたりたかく高供奉したこともあつたが、尋いで、聖明の主に拜辭して、今は假蹇驕傲の臣と稱せられ居るので、のぼううえいこふかんしんせんみちまたくわうせいしたちなエリきに登つて、宇宙の永劫に亙れるを感じ、仍つて、神仙の道を學んで、かの廣成子と鄰を爲さうと思うみしえいよ,たちんかへぶつて居る。かくて、海を蹈んで死するとも、區區の榮譽を受けず、舊山に還らうと思へば、その路はわかかくべつしんおよたこつ도かたちやうあんい:さいくわい分つて居て、格別津を問ふにも及ばない。もし、他日、西の方、長安に往つて、君と再會することが달あふぎ:おんなboひうきよをあいはらおじあつたならば、一たび、扇を搖かし、かの元規の塵にも比すべき、浮世の汚穢を拂ひ除けたいと思つて居る。きtieしんちょうくんせいけいのちょうくんいみぶんく貴道能全眞の四【餘論】起首四句は岑徽君の世系を述べ、至人達機兆の四句は徵君の今の身分、そのしうやうちようくんかうせつ·みためいかうざんに、あ句は其修養、光武有天下の四句は徵君が高節を持して居ることで、今次、鳴阜山に歸ることも、其たかゐいかじ:へいせつ3·一示群じが中に含まれて居る。余亦謝明主」以下は、自己を併說し、西來一搖」属の二句を以て之を結び、爾我二てうぜんかうたふ(たきほうにん長しへに世表に立つて居たいといふ希望を述べたのである。人超然高踏、はんさんじんたいぎんは、おく范山人の太山に歸るを送るかくはくかくいだよに魯客、白鶴を抱き、余に別れて、送范山人歸太山魯客抱白鶴。別余往太山。たいざん太山に往く。初行若片雲。杳在靑崖間。へんうんりせいがいあひだあはじめ行けば、片雲の若く、査として、靑崖の間に在り。高高至天門。日觀近可攀.かうかうてんもんににつくわんちかよ高高、天門に至れば、日觀近くして攀づべし。うんざんのぞおよいづれなへ雲山望不及.此去何時還。1雲山、望めども及ばず、ここを去つて、何の時か還らむ。【字解】E白鶴一に白離に作る。抱朴子に「芝草を求めむと欲して名山に入るには、靈寶符を帶び、白犬を牽き、白難を抱き、白鹽一斗及び開山符を以て、大石の上に著く」とあり、續博物志に「陶隱居云ふ、道を學ぶの士、山に居る、宜しく白雞白犬を養ふべし」とある。して見ると、白難の方が善い樣に思はれる。3初行若片雲後漢書祭祀志に馬第伯の封禪儀記に「この朝、秦山に上り、中觀に至る、平地を去ること二十里、南向極望、観ざるなし。仰いで天關を望む、谷底より仰いで抗峰を視るが如し。その高しと爲すや、浮雲を視るが如し。その峻たるや、石壁育寝、道徑なきが如し。遙に其人を望む、端として朽兀を行くが如く、或は白石の如く、或は雪の如し。これに久しうして、白きもの移つて樹を過ぐ、乃ち是れ人たるを知るなり」とある。天門、日觀初學記に「太山記に曰く、盤道風曲して上る、凡そ五十餘盤、小天門、大王門を經、仰いで天門を視れば、穴中より天窓を視るが如し。下より、古しへの封禪の處に至る、凡そ四十里。山頂の西巖を仙人石闇となし、東巖を介邸となし、東南嚴を日觀と名づく。日觀とは、難一鳴する時、日を見る、はじめ出でむと欲す、長さ三丈ばかり」とある。はんさんじんたたえつれきとうさいわかたいざんすなはたいざんさんとうせいなんふたいあんしうきたあ【題義】范は山人で、名字閱歷等は一切分らぬ。太山は卽ち奉山、山東濟南府秦安州の北五里に在る。しにんさんじんたいざんかへ貞Rこの詩は、范山人の太山に歸るのを送つて作つたのである。もひとはんぼうこんじめいざんいし:とはっよはくけいいだよいか【詩 意】魯人范某は、今次、名山に入つて、芝草を采らむと欲し、因つて、白雞を抱き、予に別れてだいたいざんそのやまのぼとみ第一に泰山に行くとのことである。おもふに、はじめて其山に登り行くとき、遠くから見たならば、送送范山人歸太山へんうんりせいがいあひだあはじめ行けば、片雲の若く、査として、靑崖の間に在り。かうかうてんもんににつくわんちかよ高高、天門に至れば、日觀近くして攀づべし。うんざんのぞおよいづれなへ1雲山、望めども及ばず、ここを去つて、何の時か還らむ。