李太白集卷十六ぺんえづぜんあをあをだんがいほったあらよはんけんろ달·その人は、定めて雲一片者然として靑靑したる斷崖の間に在る樣であらう。かくて、五十餘盤の險路きはせうてんもんだいてんもんでみもつとっがふよなにつくわんほうし:とこるを窮め、小天門から大天門まで行くと、日の出を見るに最も都合の善い名ただる日觀峰も、咫尺の處あこう22とざん福꿀こちらに在つて、容易に攀ぢ登ることが出來るであらう。君が登山の快は、かくの如くであるが、此方からはくうんがんちう灣のぞおよ날ミまたはっかへいへば、白雲眼中に生じて、望めども及ばず、そして、一たび、此を去りし後は、又何時還つて來るおぼつかか、まことに覺束ないことである。たいざんのくわうけいざうざうけるぜんじん;ひよう【餘論】初行若片雲の四句は、泰山に登つて行く光景を想像したのであるが、專ら前人の紀行に憑:けつかくうてぢすなはそうべつこ日據したので、決して、架空的ではない。結二句は、卽ち送別の正意で、此去何時還といふのは、決しぜつほうてきはやしよくほうて絕望的ではなく、その歸期の早からむことを隔望して云つたのである。李太白集卷十七かんじぎよくわうとくおく送韓侍御之廣德韓侍御の廣德に之くを送る【字解】S縮衣前に見えたたせきじつたなんえいたが、漢書に「侍御史に纖衣直指あり、昔日繡衣何足榮。昔日、纏衣、何ぞ榮とするに足らむ。出でて奸猾を討め、大獸を治む」と今宵貰こんぜうさけto :ゆたし酒與君傾。今宵、酒を貰うて、君と傾く。あつて、顏師古の註に「衣するに縮hitとうざんげつしよくおよび衣を以てするは、これを尊寵するな暫就東山除月色。暫く東山に就いて月色を除り、(三)かんかせんめいごり」とある。C貰漢書高帝紀酣歌一夜送泉明。酣歌一夜、泉明を送る。に「つねに、王媼武負に從つて酒を實ふ」とあつて、頗師古の註に「賈は除なり」とある、除はおぎのると訓し、あとから代金を拂ふといつて、其物を買ふこと。C泉明陶淵明、かつて彭澤の令たりしを以て、これを用ひて、韓侍御に擬したのである。野客叢書に「海錄碎事に謂ふ、漏明、一学は泉明、李白の詩、多く之を用ふと。知らず、淵明を稱して泉明と爲すものは、蓋し唐の高祖の諱を避くるのみ。猶ほ、楊淵の楊泉と稱するが如し、一字泉明なるに非ざるなり。齊東野語、高祖、諱は淵、淵の字、盡く改めて泉となす。楊升菴日く、今人、泉明を改めて泉聲と爲す、笑ふべし」とある。かんじぎよにえつれき韓侍御、名字閱歷、送送韓侍御之廣惠ふしやうともに不詳、くわつとく廣德は、たうじよちし唐書地理志にかうなんせいだうせんじやうぐんくわうとくけん「江南西道宣城郡に廣德縣あり、本【題義】