李太白集卷十七やうだいsだ一ざんしんでよ34Hことおも行きL足下には遠遊の文履を踐み、ゑんいういくら陽臺の雲を起した巫山の神女とは、甚だ異なつた趣がある。それから、たみ波を凌いで歩すれば、しめほ素塵を生ずるが如く見える。そぢんしやう꿀何は兎もあれ、なにと道を得た人であるから、みらぇ달じんじやう尋常の女ちよばんちかうさんむかかちいたはぜんぜんちがこんじたたら性とは、全然違つて居る。今次、仙を尋ねて、南はるかに衡山に向ふさうであるが、彼の地に至らかなら5上じんむにそのみちっだんしんきやうaば、必ず魏夫人に遇ひ、愈よ其道に就いて、一段の進境を見ることであらう。ぜんほんちよだうしふうほうこうはんゑんいう11けつまつなんがくてんしゆつだ【餘論】前半四句は、女道士の風貌、後半四句は、遠遊に及び、結末には、南嶽を點出して、題意をまった全うしたのである。だ題意をいうじんしよくいおく送友人入蜀友人の蜀に入るを送る見說蠶叢路。崎嶇不易行。さんそういつやす見るならく蠶叢の路、崎嶇として行き易からず。·じんめんだ:はらそしやう山從人面起。雲傍馬頭生.山は人面より起り、雲は馬頭に傍うて生ず。芳樹籠秦棧:春流遠蜀城。Cはうじゆしんさんしゆんりうしよくじやうめぐ芳樹、秦棧を籠め、春流、蜀城を遠る。さだにはじたくんべいと升沈應已定。不必問君平; 6しようちんまさすで升沈、應に已に定まるべし、必ずしも、君平に問はず。【字解】【一】見說見聞するといふことで、ここでは略ぼ聞說と同じで、必ずしも李白が業に經過したといふことではない。E蠶叢古しへの蜀の君主の名、前に見ゆ。3凸四甚だしきこと。三芳樹春樹。CI掩翳する。〓くんべいと君平に問はず。秦棧蜀の棧道は、秦の時、はじめて開いたから、秦棧といふので、三才圖會に詳記して「蜀に入るものは、寶雞より始むべし。寶雞は、古しへの陳倉縣なり。縣の南門を出づれば、渭水を渡り、十五里にして、益州鎭に至り、又十里にして、山を登れば棧道に入る。水の絕ゆる處には、棧を崖壁の間に挿み、山に編し、木を架し、下は白水江に臨み、又鳳嶺に上る、上下五十里、陳倉に抵る、路喰順、わづかに單人を容る、西行二百里、四十五里ばかりにして、その嶺に至り、復た下ること十里にして寺あり、樹石蒼翠鎗落、棧中第一の絕勝なり」とある。C蜀城卽ち成都。〓升沈浮沈に同じ。〓君平漢の嚴通、字は君平、屢ば前に見ゆ。しいわやくいうじんさせんしよくちおく【題義】詩意を考ふるに、これは、友人が左遷されて、蜀地に往くのを送つて作つたのである。! nことしよくちおもし달·しよくつうみち【詩意】君は今左遷せられて、遠く蜀地に赴くさうで、人の語るを聞けば、かの蜀に通ずる路は、崎うていマ, 2.〓かうざんとつこつたちかうじんめんぜん嶇高低、なかなか行き易くないといふことである。仰ぎ見れば、高山突兀として、直に行人の面前にそaはくうんもうもう:中へんしやうくらゐ:たか聳え、俯して瞰れば、白雲濛濛として、乘つて居る馬の頭の邊から生する位。山は、あくまで高く、た云%だうちうずゐぶんなんぎミおあひだまたみこうけい谷は、あくまで深く、君の道中も、隨分難儀な事と思はれる。しかし、その間には、又觀るべき風景ょうじゆうつさうしたいらいさんだうえんえいしゃんりうせんゑんにれて;)もあるので、芳樹鬱蒼として、秦時以來の棧道に掩翳し、春流潺湲として、成都を繞つて流れるから、みづか少しは、なぐさただしんじやうしょうちんえいじとくたに前ミこれを見たならば、自ら慰むるに足るであらう。但し、一身上の升沈榮辱に至りては、こん;こいうめいえきしやげんくんべいかた以て、天の數が、ちやんと定まつて居るから、かの有名なる易者の最君平に問ふにも及ばない。されissいたおほしよくちうふうけいあてだいば、君も、さばかり心を痛めずに、氣を大きくして、蜀中の風景でも見て、樂むのが第一であらう。じxくわんコゐしやいそうべつせいぶんな【錄論】見說の二字は、前六句を一貫し、結二句では、慰藉の意を述べ、それで、送別の正文を爲しぜんれんしひとしんじやう:かはこうれんちようせんこうれいうりやうあひたいて居る。と六前聯は、至險至深の狀を極めた代りに、後聯は、穣織工麗、それで兩兩相對して、愈よ面送送友人入蜀