李太白集卷十七かうけい白い、なほ前聯に就いて、王翼雲は「山從の二句、是れ上の崎嶇不易行の五字を承く、好景として45げんさうらうがんれんいしやうひよくはん老上ちこうれん會する勿れ」といひ、嚴滄浪は「頷聯、意象偏反乃ち高奇を見る」といひ、後聯に就いて、王翼雲はなはだこうかいこ놓:は「前解、甚しく蜀道の崎嶇を言ふ、後解、友の蜀に入るを言ひ、亦た崎嶇すでに過ぐるより說く」けつまつわうよくうんしようちんげつしようちんどうがふといひ、結末七八兩句に就いて、王翼雲は「七八、升沈を借問して、結と爲す。升沈は、人の遇合にわらる글'くんべいげんじゆんげん5うせいとだ漢の嚴遵の字、高低あり、行路に上下あるが如きなり。君平は、嚴トを以て成都の市に隱る、高士いまいうじんけんこしようちんさだなり、今友人險を渉つて以て成都に至れば、崎嶇すでに經歷して過ぐ、すでに、升沈定まるあるを知にだんてま00ぜんしゆけんりうぎよひっせいらば、必ずしも更に君平に決せず」といつた。なほ全首の總評として、乾隆御批には「これ五律の正でふけいくわつだいまof大しがん:宗なり。李夢陽曰く、疊景は意必ず二、關大は半ば必ず細、極めて詩家の微指を得たり。この詩、領れんじちょうせんしこくだうまだふうけい聯は次句に承接し、語意奇險、五六は穩纎、領聯は蜀道の難を極言し、五六、又風景の樂むべく、以けつほんあんしようちおほて征夫を慰むるを見る、これ兩意なり、結翻案、更に勝致饒し」といつてある。送趙雲卿白玉一杯酒。綠楊三月時。春風餘幾日。兩鬢各成絲。趙雲卿を送るはくぎよくばい55ま:白玉一杯の酒、綠楊三月の時。しゅんよう:春風幾日を餘す、兩鬢各絲を成す。: :い燭を乗つて、唯だ須らく飮むべく、竿を投する、また未だ〓たもし潤川の獵に逢ば、猶ほ帝王の師たるべし。遅からず。けだへんしやかさ蓋し編者重ねて入:秉燭唯須飮。投竿也未遲.た如逢渭川獵。猶可帝王師。もし潤川の獵に逢ば、〓〓くわんない【餘論】王琦の說に「この篇、十一卷内贈錢徵君少陽の詩と一字の差異なし、いは子れて、未だ刪らず」とあるから、一切省略することにする。ごかく李靑の華陽川に歸るを送る4/4꿀伯陽は仙家の子、容色、靑春の如し。じつげつれいとうひこちら밖に日月、靈洞に祕し、雲霞、世人に辭す。:せいはくTE心を化して、精魄を養ひ、凡に隱つて、た:千年の別を作す莫れ、歸り來つて城郭ごかく送李靑歸華陽川李靑の華陽川に歸るを送る4/4伯陽仙家子。꿀容色如靑春。伯陽は仙家の子、容色、靑春の如し。じつげつれいとうひこちら日月祕靈洞。雲霞辭世人。밖に日月、靈洞に祕し、雲霞、世人に辭す。化心養精魄。隠几省天眞。三:せいはくTE心を化して、精魄を養ひ、凡に隱つて、天眞實たり。@莫作千年別〓歸來城郭新。た:千年の別を作す莫れ、歸り來つて城郭新なり。【字解】E伯陽伯陽は卽ち老子。列仙傳に「老子、姓は李、名は耳、字は伯陽、陳の人なり、殷の時に生ま周の柱下史となり、轉じて守藏史となり、八十餘年を積む」とあり、史記に「二百餘年、時に隱君子と稱す」とある。3精魄江淹の詩に隱治駐精魄」とある。3隱儿莊子に「南郭子〓、几に隱つて坐す」とあつて、陸總明の音義に「隱は憑るなり」とある。城郭新丁令感の歌に、去家千年今始歸、城郭如故人民非とある。送送趙雲卿,送车青歸華陽川天眞實たり。新なり。