李太白集卷十七にじじiどうせいじんかうしよ【餘論】白額虎は、李暠の故事で、例の如く、同姓人の典を用ひたのは、その巧處である。それから、ぞくていにじえ位れいくわつ池塘生春草は、族弟に關する故事で、これも用ひ得て極めて靈活である。要するに、この詩の妙は、theすんてつひとi±おこの兩故事を巧に融合して運旋した處に在るので、寸鐵人を殺すが如きは、正に一奇格を推すべきものである。ヒ送別、書の字を得たりthreしうかう:水巴、南天遠く、舟行、虛に在るが若し。せんじんかんきよ遷人、佳興を發し、吾子、聞居を訪ふ。- :류日落ちて歸鳥を看、潭澄んで躍魚を羨む。L L聖朝、賈誼を思ふ、應に降すべし紫泥の書。ヒ送別得書字送別、書の字を得たりthreしうかう:水色南天遠。舟行若在虛.水巴、南天遠く、舟行、せんじん遷人發佳興。吾子訪問居。遷人、佳興を發し、吾子、- :日落看歸鳥。潭澄羨躍魚.日落ちて歸鳥を看、こ聖朝思賈誼。應降業泥書。聖朝、賈誼を思ふ、【字解】【一】聖朝思賣誼漢書に「賣誼、長沙王の太傅となる。後歲餘、帝、泥は、重書を封ずるに用ふるので、これは詔書をいふ。その詳、前に見ゆ。달えんかうまわかあん【題義】この詩は、人の遠行を送る時、何かの句を分つて韻をした處が、ぶ(仍つて、之を作つたといふのである。帝、誼を思うて之を徵す」とある。3紫泥書紫,李白は書の字を取りあて、造は〓in a :【詩意】遠く南天を望めば、水色渺渺として、舟の行くは、さながら太虛に在るが如く見える。君はせんかくおぼ不幸にして、この景色に對して、き遷客となつたが、覺えず佳興を催し、そして、特に吾が聞居を訪は〓: b BASHれたのは、まことに嬉しい。やがて、日落つれば、塒を指して歸り行く鳥が見え、淵が澄んでは、そ2 145ち2おのおのたくtel ;こに勢よく躍る魚が羨ましい。この鳥や魚などは、各託するところがあつて、その栖に安んじてよニばおよかうたん居るので、君は之を見ると、おのが一身、却つて之に及ばぬといつて、浩嘆するであらう。しかし、こと늘;いだごくだ聴明の天子は、日ならずして、賈誼の如き逸才ある君の事を思ひ出され、紫泥の詔書を下して、屹度に、召し還されるであらうから、くよくよせずと、しばらく耐らへて、その時の來るのを待つて居るが書い。じつけいかうめうおな:【餘論】起二句は實景で、描寫極めて巧妙である。前聯、遷人吾子は、同じ人を指して、稍やくどいにやうであるが、一氣呵成に出來て居て、別に一格を爲して居る。後聯は、魚鳥の其處を得たるに因つせんじんニか:て、遷人の身の上に反襯し、そして、賈誼を倩ひ來つて收束し、亦た極めて切實である。れ、麴十少府を送るうごくわいに〓秋の興を發し、因つて、呉會の吟を爲す。かうしん海色を斂め、流水、江心を折く。送麴十少府三試發〓秋興。因爲吳會吟。碧雲斂海色。流水折江心。送送別得書字·遂麴十少府試碧雲、