李太白 集半十七=む。おなとぱき同吳王送杜秀芝擧入京吳王と同じく杜秀之の擧にに入るを送るしうさいなんへんべんわつくわいや秀才何翩翩。王許囘也賢.秀才、何ぞ鬭翩たる、王は許す囘也の賢。暫別廬江守。將遊京兆天;たごうしゆ:けいてうこん暫く廬江の守に別れ、將に京兆の天に遊ばむとす。らくじつあかんえんい秋山宜落日。秀水出寒煙。秋山、落日に宜しく、秀水、寒煙出づ。u aに温がんせうま欲折一枝桂。還來雁沼前。一枝の桂を折らむと欲す、歸り來る雁沼の前。【字解】C郡名、卽ち應州で、淮南道に隸屬して居る。E京兆通典に「雍州、開元三年、改めて京兆府となす、凡そ周·秦·漢·音·西魏·後周·隋より我が唐に至るまで、竝に帝都たり」とある。CO一枝桂管書に「都読曰く、臣,賢良に擧げられ、對策天下第一たり、猶ほ桂林の一枝、崑山の片玉のごとし」とある。E雁沼西京雜記に「梁の孝王、兎圓を築く、國中に雁池あり、池間に鶴洲鬼渚あり、その諸宮親相連り、延五數十里、奇果異樹、瑰禽怪獸、畢く個はる。王、宮人賓客と、其中に弋釣す」とある。こわうふしやう33いあんしだい: :むしunぎ【題義】吳王は不詳。王琦の說に「按ずるに、詩題、當に是れ、杜秀才の擧に赴いて京に入るを送る3 :しさいあやまり:と는なるべし。芝の字、疑ふらくは譌とある。すると、芝は才の誤であらう。この儘ならば、杜秀芝を달せいめいみほかしゆしうさいまぜんせつ人の姓名と見る外はないが、詩中起首に秀才とあるから、矢張、前說が確當であらう。とへんべんさいじんごおつ示けんおな【詩意】杜秀才は、翩翩たる才人であつて、わが吳王も、之を以て顏囘の賢と同じであるといつて、としうさいhitろおつたいしゆわかちやうあんゆやこでひどく褒めそやされて居る。その杜秀才が暫く廬江の太守に分れ、長安の都に出かけるといふので、あつゆれこうのいらB b :59しうざん홍天晴功名の途が開けるのは、まことに目出たい事である。時しも、七八月の頃、秋山は夕日を受けて、さいすゐゑ글ちやうかうろづかんえんひだゑんけいさうばうまきつとりんちうし彩翠畫の如く、長江の水からは寒煙を蒸し出して、遠景は、蒼茫として居る。君は、屹度、林中一枝あつくしゆつしんがんの桂を折るといつたやうに、對策第一で擧げられるに相違ないが、ここが、出身の地であるから、雁:ひだいばたふたたごいつおひきたて,沼に比すべき、この池臺に歸つて來て、再び吳王の御引立を受けるが善からう。れんな글しやけいきはめいせいげんさうらうけいれん【餘論】五六の一聯は、例の如く、寫景極めて明觀である。そこで、嚴滄浪は、これを評して「頸聯ぶくするぼくじんこをしは一幅の水墨、前後副はざるは、惜むべし」といつた。けいれんこれを評して「頸聯洞庭醉後、送終州呂使君果流澧州かうしうくんかうれいしうルおく洞庭の醉後、絳州の呂使君果が澧州に流さるるを送るせきべつU 1)딸てんがいたらあ昔別若夢中。天涯忽相逢。昔別、夢中の若し、天涯、忽ち相逢ふ。しうげつやぶ;ほしいまま담洞庭破秋月。縱酒開愁容。洞庭、秋月を破り、酒を縱にして、愁容を開く。こ品ぎよくじえんべいりやうかうりよう贈劍刻玉字。延平兩蛟龍。劍を贈つて、玉字を刻す、延平の兩蛟龍三三まぶ?とおよがんくわいほう送君不盡意。書及雁廻峰。君を送つて、意を盡さず、書は及ぶ雁廻峰。【字解】延平兩效龍管の雷煥が掘り出した劇で、後に其子が之を佩び、延平津を渡ると、躍つて水に入り、送同吳王送杜秀芝擧入京·洞庭醉後送終州呂使君果流澧州七八一延平津を渡ると、躍つて水に入り、七八一化して飽とな送