李太白集卷十七つたといふので、その詳は、前に見ゆ。【二】雁廻峰方奥勝覽に「願廻峰は、衡陽の南に在り、雁、ここに至つて過ぎらず、春に通うて囘る、故に名づく。或は曰く、峰勢、雁の囘るが如し」とあり、湖廣志に「同雁峰は、衡州府城の南里許に在り。相傳ふ、雁、街陽に過ぎらず、ここに至つて囘ると。然れども、聞く、桂林の間、尙ほ雁聲ありと。この說の非なるを知る。或は謂ふ、峰の形勢、雁の囘轉する者の如しと。是なり。南岳は周環八百里、廻雁を首となし、岳麓を足と爲すといふ」とある。にがくしうか【題義】湖廣志に「洞庭湖は、河岳州の西南に在り、八百里に綿跨す」とある。絳州は、卽ち終郡、え2太守、は上ル날おせうほんお(東道に隸屬して居る。呂使君といふ上は、卽ち刺史の職に居た人で、名は杲、蕭本には果に作おれいしうつてある。もと似寄つた字だから、他に傍證なき限りは、いづれとも決定することは出來ない。澧州またれいやうどんは、澧水の陽に在つて、又澧陽郡といひ、山南東道に隸屬して居たので、京師の東南一千八百九十三え芒とりよぼうえんいん里に在る。この詩は、洞庭附近に於て、舊の絳州刺史呂某に遇ひ、仍つて、宴飮を爲し、醉後、そのれいしうへんたくき?澧州に貶調せられるのを送つて作つたのである。【詩意】むかし、君に別れたのは、なんねんまへ何年前であつたか、今から思へば、いぷむ夢中の如く、글しかも料らざりばんり萬里の天涯に於て、ま:どうていこじやうamき、偶然、君に逢はむとは。折しも、洞庭湖上には、秋月さし上り、この上もない上ひしまほしいままじつ善い景色であるから、酒を縱にして、愁容を開かむことを務めた。君に贈るに他物なく、幸ひ延平sか11津に於て兩龍に化したといふ彼の名創に比すべきものがあるから、これに字を刻し、記念として捧呈がんかうやういくわいがんほう日二することにしやう。聞けば、雁は衡陽以南に行かず、:〓廻雁峰といふ山さへある位、今後は、手紙を託だするものも無いから、この心中を殘らず話し出さうといふので、送別の際、その〓しきも、洵に止むを得ぬ次第である。たうていせんきんBriendsがんくわいほう1こ【餘論】この詩は、到底淺近を免れないが、延平の故事と雁廻峰とを倩ひ來つて、のは、さすがに、才の慧を觀るべきものである。;渺として盡し難送別の際、そのた:おもむきt多少の趣を添へたかうやうだcafe E與諸公送陳郞將歸衡陽。〓序諸公と陳郞將の衡陽に歸るを送る、〓に序仲尼旅人。文王明夷苟非其時。聖賢低眉況僕之不肖者。而遷逐枯槁。固非其宜。朝心不開。暮髪盡白.而登高送遠。使人增愁。陳郞將義風凛然。英思逸發。來下曹城之榻。去邀才子之詩.動〓興於中流。泛素波而徑去。諸公仰望不及。連章祖之.序慙起予。〓冠名賢之首。作者嗤我。乃爲撫掌之資乎.ぶんわう운せいけんまゆいはぼく世) :【訓讀】仲尼は旅人、文王は明夷。苟くも其時に非ざれば、聖賢眉を低る。況んや、僕の不肖なる者:出し方をや。しかも、遷逐枯槁、もとより、亦其れ宜なり。朝心開かず、幕髪盡く白し。而して、登高送ゑん물はじけふうりんぜん1/2遠人をして愁を增さしむ。陳郞將、義風凛然、英思逸發、來つて、曹城の榻を下し、去つて、才子選與諸公送陳郞將歸衡陽井序七八三