李太白集卷十七居る。うとうへいかへ式梁四の東平に歸るを送るぎよくこびLちそうべつしくわんな玉壺、美酒を挈へ、送別、强ひて歡を爲す。たいくわたんせいっchrほんろかた大火、南星の月、長男北路難し。いんわう二ていぶんするすゐかんだ般王、負鼎を期し、汝水、垂竿を起す。とうざんそわはむんしやあん:たか東山の臥を學んで、參差、謝安を老いしむる莫れ。うとうへいかへ式送梁四歸東平梁四の東平に歸るを送るぎよくこびLちそうべつしくわんな玉壺挈美酒。送別强爲歡。玉壺、美酒を挈へ、送別、强ひて歡を爲す。大火南星月。長郊北路難。たいくわたんせいっchrほんろかた大火、南星の月、長男北路難し。(1)いんわう二ていぶんするすゐかんだ殷王期負鼎。汝水起垂竿。般王、負鼎を期し、汝水、垂竿を起す。參差老謝安.とうざんそわはむんしやあん:たか莫學東山臥。東山の臥を學んで、參差、謝安を老いしむる莫れ。【字解】S大火六經天文編に「夏氏曰く、仲夏の月、初昏の時、大火、南方正午の位に見はる」とある。殷王史記に「阿奮、湯を干さむとして由なし。乃ち有華氏の勝臣となり、鼎俎を負ひ、進味を以て、湯に說いて王道を致す」とあり、越絕書に「伊尹、鼎を負うて、殷に入り、遂に湯を佐けて、天下を取る」とある。3汝水春秋正義驛例に「汝水は、秦山薬蕪縣の西南に出で、濟北を經、東平須昌縣に至つて濟に入る」とあり、行水金艦に「遂征記に云ふ、泰山郡の水、皆汝と名づく。今縣是に五汝あり、皆源別にして流同じ。其源山の汝水は西南流し、乾封縣治の南を經、縣を去ること三里、又西南流すること九十里、〓州中都縣に入る。接ずるに、五汝とは、北汝、小汝、柴汝、半汝、其一は經流なり」とある。三參差齟齬すること。CO謝安東山に高臥せしこと、前に見ゆ。りやうeはいかうめいじえつれきわかとうへいおろどんめいまたうんしうかなんだう【題義】梁四の四は例の排行、その名字閱歷は分らぬ。東平は、唐時の郡名、卽ち鄲州で、河南道にめいじえつれきわかその名字閱歷は分らぬ。とうへい東平は、おろどんめい唐時の郡名、またうんしう卽ち鄲州で、かなんだう河南道に【題義】れいぞくしりやうぼうそのきやうりとうへいかへおく隸屬して居た。この詩は、梁某の其〓里東平に歸るを送つて作つたのである。·よくこびLi 153〃まかうおくためさかづきすすレくわん【詩意】玉壺に美酒を盛り、それを挈へて出で、ここに、君の行を送るが爲に、杯を勸め、强ひて歡:いたいくわほしなんほうせいごちっなつなかきたe笑をする。今しも、大火の星が、南方正午に位置する月で、夏の最中であるから、これから、北に向たへいげんたたびこんなんいあんいんたういうぜいひ、一帶の平原を橫ぎつて旅をするのは、なかなか、困難であらう。むかし、伊尹は、殷湯に遊說せためごとん과れづりにんこれちかネむが爲に、鼎を負ひ、料理人といふ觸れ込みで、之に近づいたといふことであるが、君も、いつまでこきやうくすぶうんするさをたぎよてうaだみことふううんさいくわい달も、故〓に燻つてばかり居らず、汝水に竿を垂れる漁釣の身より起つて、見事に風雲に再會し、がこうめいたよしやあんとうざんかうぐわきぐづ.づ를こころぎどの功名を立てるが善いので、謝安が東山に高臥したのを學んで、愚圖愚圖して居る内に、時と志そむな될くしと齟齬して、空しく老い朽ちて仕舞ふやうな事があつてはならぬ。ぜっほんそうべつせいぶんこうはんそのひとしやうたいしよ:ばくわんしやうふた示か【餘論】前半は送別の正文、後半は其人の將來に囑望し、規戒と勸奬と兩つながら之を兼ねて居る。;いうじんおく江夏に友人を送るJaてんすゐうんきうまおくくわうかくろう雪は點ず翠雲〓、君を送る黃鶴樓。Catぎよくうふるにとていわうし書類、玉羽を振ひ、西に飛ぶ帝王の州。ほうらうかんなにゑんいうぎ鳳に琅玕の實なし、何を以て遠遊に贈らむ。七九三江夏送友人雪點。翠雲〓。送君黃鶴樓。黃鶴振玉羽。西飛帝王州。こま鳳無現〓實。何以贈遠遊送送梁四歸東平·江夏送友人