李太白集卷十七はなくわいかげあひかへりかんかうながれ徘徊相顧影。涙下漢江流.徘徊、影を相顧み、涙は下る漢江の流。【字解】E翠雲表宋玉の圖賦に醫水日之華、披二翠雲之義とある。翠色の皮衣であらう。3黃鶴樓鄂州に在つて、經に「費文樟、仙を得、黃鶴に駕して此に憩ふ」とある。3琅玕實竹の實、前に見ゆ。かうかがくしうかうなんせいだうまついうじんえん【題義】江夏は唐時の郡名、卽ち鄂州で、江南西道に屬して居た。この詩は、江夏に於て、友人の遠ふぅご、行を送つて作つたのである。ほくふうすゐうんかはくわうかくろうのぼまゑんいうおく【時意】北風さむく、雪がちらちら舞つて、翠雲の皮に點ずるとき、黃鶴樓に上つて、君の遠遊を送まくわうかくa도そのはねにし쿨ちやーあんます黃鶴が見事な其初を奮つてに飛ぶが如く、つた。君は、これから、長安に赴くのである。鳳に比すたいとたけへいぜいう見;まゑんいうでべき吾は、食ふべき竹の實さへも無く、平生飢に苦んで居る位であるから、ここに、君の遠避を送らそうていあはいくわい!かげた、製550くだかんかうながれこうとしても、贈呈すべき物だになく、徘徊して、互に影を顧み、覺えず、淚下つて、漢江の流に注ぐばかりである。くわういく: hひほうちょうきうきやうべつさらしんじやうこうはん【餘論】黃鶴を以て友に比し、風を以て自ら擬し、その窮境別更に苦なる眞情を抒べたので、後半四すみなみが官たが36句、墨と涙と相和して流るるを疑ふばかりである。かんかうながれ涙は下る漢江の流。はなくわい徘徊、かげあひかへり影を相顧み、3黃鶴樓鄂州に在つて、まつ江夏に於て、いうじんえん友人の遠この詩は、きうきやうべつさらしんじやうその窮境別更に苦なる眞情を抒べたので、こうはん後半四おうは:都昂の巴中に謫せらるるを送る送都昂謫巴中(一)瑤草寒不死.移植滄江濱東風灑雨露。會入天地春。予若浦庭葉。波波送逐臣。思歸未可得。書此謝情人. : :品し,さうかう瑤草、寒くして死せず、移し植う滄江の濱。とうふう·僕装東風、雨露を灑ぎ、會ま入る天地の春。꿀なみ上ちくしん予は洞庭の葉の若く、波に隨つて、逐臣を送る。ニ%いin노歸るを思うて、未だ得べからず、此を書して、情人に謝す。【字解】E瑞草江淹の詩に瑞草正翕絶とあつて、李善の註に「玉芝なり」とある。王琦は說を爲して「接するに、詩家、瑤草を用ふ、珍異の草を謂ふのみ、未だ必ずしも、專ら玉芝を指して言はず」といつたが、いかにも尤もである。3洞庭葉楚辭に渦庭波兮木實下とある。3かいあんやうしがくし上たにげんげんDreamけいてうせうるん【題義】王琦の解に「按ずるに、羊士諤の詩集に詩あり、題して云ふ、乾元の初、嚴黃門、京兆少尹へんうんぬんう:〓より巴州刺史に貶せらる、云云と。詩下註して云ふ、時に都詹事昂、拾遺より〓化の尉に貶せらる。くわうもんとしふし름÷かうくわいとな6黃門年三十餘、且つ府主たり、郡と意氣友とし善し、詩を賦して高會し、文字猶ほ存す、と。又李華の;じぶんしやうおこんぐんさいせいし楊琦曹集の序に、刑部侍郞長安の孫公遂、文章の冠を以て考功員外郎となり、羣材を精試す。君、南のうちやうもしけいてうこうぜんらうやがんしんげいか측りうほう3:陽の張茂之、京兆の杜鴻漸、瑯琊の顏眞卿、蘭陵の蕭頴士、河東の柳芳、天水の趙驛、頓邱の李琚、てうせんになんやうじやうざんえんぼうはんやうちやうなんようかうへいさ趙郡の李專、李頑、南陽の張階、常山の闇防、范陽の張南容、高平の都昂等と連年登第す」とある。ちゆうかうへい달むつとめいししたと元:3せいくわるすると、郡昂は、高平の人で、當時の名士として知られ、はじめ、詹事に任じ、後に拾遺より清化尉送送鄙昂讀巴中七五五