李太白集卷十七賦得白鷺鷲。送宋少府入三峽KSはふごく白鷺鵞を賦し得て、朱少府の三峽に入るを送るニいくる5는つきあきらしうすゐさむ白鷺拳一足。月明秋水寒。白鷺、一足を拳にし、月明かにして秋水寒し。三날cress注灣しくんだんw人驚遠飛去。直向使君灘。人は驚く、遠く飛び去つて、直に使君灘に向ふを。【字解】3挙拳の如く縮めて居る。S使君灘水經註に「江水、東、羊腸虎臂灘を經。楊亮、益州刺史となり、此に至??舟覆へる。その波瀾に懲り、蜀人今に至るまで、猶ほ之を名づけて使君灘となす」とあり、太平寰宇記に「使君灘は、高州の東二里、大江の中に在り、むかし、楊亮、益州に赴任す、行船、ここに至つて覆沒す」とあり、一統志に「使君灘は、〓州夷陵州の西一百十里に在り」と見ゆ。そうせうふめいじわか오まみそうせうふ出÷にん【題義】朱少府の名字は分らぬ。三峽は、前に屢ば見えて居た。これは、宋少府の三峽に赴任するをaさいはくろじだいふそうべつ;送るに際し、白鷺鶯を題とし、これを賦して送別の意を寓したのである。:ちぢきこた;た:つきあきらようよう【詩意】白鷺は、一足を縮めて拳の樣にし、他の一足で立つて居るが、折しも、月明かにして、溶溶しうすゐさむシ澁やうりやうふねしづくんだん;たる秋水、いとも寒げに見える。その鷺が遠く飛び去り、むかし楊亮の舟が沈んだといふ使君灘の方な少しも、たいひとおどろわうじ:へ直に向つて、恐懼の態なきは、見る人をして、驚かしむるばかり。君は、王事監きことな打ちはほか少しも艱危を憚らす、しくんだんせふかうげんをかしんさだしといつて、使君灘は固より、峡江の險を冒して行かれるが、鬼神も、定めて加護することであらう。そうせうふ出÷にん宋少府の三峽に赴任するを屋かいしやく上の如くに解釋して餘意あるものとせざる限り、:【餘論】じやうはんも但ぶくくわつぐわ글文字と成つて仕舞ふ。し、上半は、一幅の活畫の如く、L )思古調」といつてある。にんそうべつただしくわんけいこの詩は、送別に對して何等の關係なき聞ぜんしゆけんりうぎよひそして、全首に就いて、乾隆御批には奇かうとうぎ二季の江東に之くを送る1cはつ(けいれんあた初めて强中を發して作り、詩を題して惠連に與ふ。おほじつ죽けんおよ多く慚づ一日の長、二龍の賢に及ばざるを。せいさいうんあたなんぶうc훔ほつ西塞、中路に當り、南風、船を進めむと欲す。うんほうゑんかいはんえいせいせんかか雲峰、遠海を出で、帆影、〓川に挂る。,けつざうしよ禹穴藏書の地、匡山種杏の田。おつ6 T÷遲つ爾が早く歸旋するを。ぶこの行、倶に適あり、かうとうぎ送二季之江東二季の江東に之くを送る〓1cはつ(けいれんあた初發强中作.題詩與惠連。初めて强中を發して作り、詩を題して惠連に與ふ。€おほじつ죽けんおよ多慚一日長.不及二龍賢。多く慚づ一日の長、二龍の賢に及ばざるを。西塞當中路。南風欲進船。せいさいうんあたなんぶうc훔ほつ西塞、中路に當り、南風、船を進めむと欲す。うんほうゑんかいはんえいせいせんかか雲峰出遠海。帆影挂〓川。雲峰、遠海を出で、帆影、〓川に挂る。禹穴藏書地。国山種杏田. ,けつざうしよ禹穴藏書の地、匡山種杏の田。むおつ6 T÷此行倶有適.遲爾早歸旋。遲つ爾が早く歸旋するを。ぶこの行、倶に適あり、【字解】三强中謝靈運に登臨海崎、初發ニ張中、與從とる詩がある。劉履は「强中は地名、今罅山の下に强口あり、疑ふらくは卽ち此ならむ」といつた。三二龍世說に「諸子徵、許子將兄弟を見て曰〓、平奥の淵に二龍あり」とある。E西塞郡川に在つて大江に臨む斷礪であつて、馬當と共に江中の險處と稱せられて居る。3萬穴太平御覽に「九土文活略に送賦得白鷺鷲送宋少府人三峽·达二季之江東七九九