李太白集卷十七曰く、會稽山に一石穴あり、委曲す、黃帝書を此に〓す、禹、これを得たり」とある。C匡山種杏田匡山は卽ち廬山、廬山記に「医續、麿を山に結ぶ、故に匡廬山と號す」とある。神仙傳に「董奉、豫章廬山の下に這つて居り、田を種ゑず、人の爲に病を治め、亦た錢を取らず、重病癒ゆるものは吝五株を栽ゑしめ、輕きものは一株、かくの如きこと數年、計、十餘萬株を得、として林を成す」とある。【六】歸旋二字、ともに歸る。詩の小雅に、言施言歸、復我我族とあり、謝靈運の詩に、三載期ニとるるふたり示かうとうぶつく【題義】二季とは、二人の季弟で、それが江東に行くのを送つて作つたのである。しやれいうんEちやうちうはつしぞくていけいれんチニ【詩意】むかし、謝靈運は、初めて强中を發するとき、詩を作つて、その族弟惠連に與へたといふが、いまちやうどかんce둘··なんちらせいらいさいせつわれも、今丁度、そんな感じがする。われは、一日の長を以て、汝等の上に居るが、生來才拙にして、なんぢけんおよ168しだいなんぢちかうとう二龍に比すべき汝等の賢に及ばざるは、まことに慙愧すべき次第である。これから、汝等は、江東に倍ちよつとほね向つて舟で行くのだが、カせいういざんちうろあたなんぶうなつ혹を西塞山は、その中路に當り、南風の折から、船を進めるには、一寸骨が折れ:ほうせいなゑんかいニbほかげせせんかかいうにわつさだる。眺めやれば、峰勢を爲す雲は、遠海の上に湧き出で、帆影は、〓川に挂り、四顧ただ空濶、定めりよしうぜめきん155くわいけいうけつむにていわう上すどうくつて旅愁の悽然たるを免れぬであらう。しかし、會稽には禹穴といつて、太古の帝王が書を藏した洞窟ろざんとうほう·あんや,まだところけんつつがあるし、廬山には、董奉の遺跡として、杏を種ゑさせた山田があつて、これ等の處は、見物するだなんぢらこのかうさだほ늘はやだ:けの價値がある。そこで、汝等の此行、定めて適意の事あるべきも、われは、早く歸り來らむことをかげんも6待つて居るから、いい加減に切り上げて來て貰ひたい。品じんぶつCy一七七りよちうみしとうがいgおい【餘論】起首四句は二季の人物、次の六句は今次の旅中に見るべき勝〓を述べ、結二句に於て、そのgおい結二句に於て、そのはやかへきたしよくぼう早く歸り來らむことを囑望したのである。かうぜいいうじんらiおく江西にて友人の羅浮に之くを送るけいすあれわかかうざんきうぎてう桂水、五嶺を分ち、衡山、九疑を朝せしむ。きやうくわんあくせいきうらう:ら〓關安西眇たり、流浪、將に何くにか之かむとする。そしよくめいここしうしよわた§素色、明湖を愁へしめ、秋渚、寒姿晦し。ちうせきし15くわうはつ疇昔紫芳の意、すでに過ぐ黃髪の期。くんわうそさんほしいままうんがくこじか君王、疎散を縱にせしめ、雲壑、巢夷に借す。たんた1 Poいたがい爾去つて羅浮に之き、我、還つて峨眉に憩ふ。ちうくわつみちばんりか用はるかあひおも中關、道萬里、霞遙に相思ふ。tきやうしちけいじゆはうしもし楚狂子を尋ぬれば、瓊樹に芳枝あり。かうぜいいうじんらiおく江西送友人之羅浮江西にて友人の羅浮に之くを送る桂水分五嶺.衝山朝九疑。けいすあれわかかうざんきうぎてう桂水、五嶺を分ち、衡山、九疑を朝せしむ。〓關眇安西きやうくわんあくせいきうらう:ら流浪將安之。〓關安西眇たり、流浪、將に何くにか之かむとする。そしよくめいここしうしよわた§素色愁明湖。秋渚晦寒姿。素色、明湖を愁へしめ、秋渚、寒姿晦し。き疇昔紫芳意.己過黃髮期.もちうせきし15くわうはつ疇昔紫芳の意、すでに過ぐ黃髪の期。雲壑借巢夷。くんわうそさんほしいままうんがくこじか君王縱疎散。君王、疎散を縱にせしめ、雲壑、巢夷に借す。たんた1 Poいたが爾去之羅浮。我還憩峨眉。い爾去つて羅浮に之き、我、還つて峨眉に憩ふ。ちうくわつみちばんりか用はるかあひおも中關道萬里.霞月遙相思。中關、道萬里、霞遙に相思ふ。(一〇) tきやうしちけいじゆはうし如尋楚狂子。樹樹有芳枝。もし楚狂子を尋ぬれば、瓊樹に芳枝あり。【字解】E桂水通典に「桂州臨桂縣に離水あり、一名桂江、水源に桂多く、雜樹を生ぜず」とある。3五嶺漢書に「南、五嶺の戌あり」とあつて、頗師古の註に西、衡山の南より、東海に窮まる、一山の限のみ、而して、別に名を標すれば五あり」とある。裴氏の廣州記に「大庚、始安、臨賀、桂陽、揭陽、これを五嶺となす」とあり、郵德明の南康記に「大庾嶺一なり、桂陽騎送江西送友人之到浮八〇一