李太 白集卷十七一朝各飛去。鳳與鸞倶啼(四)炎赫五月中。朱曦煠河堤。(玉)爾從汎舟役。使我心魂悽。CAR七秦地無草木。南雲喧鼓擊。君王減玉膳。早起思鳴雞。(一〇漕引救關輔。疲人免塗泥。宰相作霖雨。農夫得耕犁。こま靜者伏草間。羣才滿金閨。空手無壯士。窮居使人低。11送君登黃山。長嘯倚天梯。(一小舟若鳧雁。大舟若鯨鯢。開帆散長風舒卷與雲齊。(日入牛渚晦.蒼然夕煙迷。IVおのおのとさほうらん릅な朝、各、飛び去り、鳳と鷺と倶に啼く。えんかく(55きかていしやく炎赫、五月の中、朱議、河堤を燦す。佐々たはんしうえずしたがわれしんこんせい爾は汎舟の役に從ひ、我をして、心魂悽たらしむ。たいさつもくなんうんこへいかまびす秦地、草木なく、南雲、鼓輩喧し。とんわうぎよくぜんばさうきあいけいぶ君王、玉膳を減じ、早起、鳴雞を思ふ。さういんくねんぼひじんとていホテル;漕引、關輔を救ひ、疲人、塗泥を免る。さいしやういく9,かうれい宰相、霖雨と作り、農夫、耕型を得む。せいしやさうぃんさそんさいきんけいみ靜者は草間に伏し、羣才、金閨に滿つ。くうしゆさうしきうきよ달す空手、壯士なく、窮居、人をして低からしむ。またくくわうぎんのぼきますてんていよ君を送つて黃山に登り、長質、天梯に倚る。せうしう+がん〔たいしうけいげいi小舟、覺雁の若く、大舟、鯨鯢の若し。但ひらちやうふうゑじょげんくひと帆を開いて、長風に散じ、舒卷、雲と齊し。ひぎうしよくらさうぜんせきえんまよ日入つて牛渚晦く、蒼然として夕煙迷ふ。(一六)さうしいつく秀らくやう相思在何許。杳在洛陽西。にし相思、何許にかある、杏として洛陽の西に在り。【字解】E鷺乃風之族張事の禽經註に「覺は風風の亞、はじめて生まるれば、鳳に類す、久しければ五彩慶島す」とある。E翱翔淮南子の高誘註に「鳥の高く飛び翼上下するを翩といひ、直刺して動かざるを翔といふ」とある。3瓊樹風の棲食するところの樹、前に見ゆ。【ヨ】朱囃太陽。C)汎舟役左傳に一六、ここに於て、粟を晉に輪し、雍より絳に及ぶまで相權ぐこれを命じて汎舟の役といふ」。〓秦地無草木王琦の解に「舊唐書、天寶六載五月より雨ふらず、秋七月乙西に至り、旱を以て宰相臺寺府縣に命じ、繁囚死罪決杖配流の徒以下を錄して特免す。度寅、はじめて雨ふる。九載三月、時に久しく旱、制して西嶽を封ずるを停む。五月庚寅、旱を以て囚徒を錄す。壹し、天寶の時、京師の旱、史に見ゆるもの二あり、未だ此詩何年に作るかを詳にせず」とある。C喧鼓擊雨乞の太鼓の音騷がしきを云ふ。後漢書に「その旱するや、公卿官長、次を以て零禮を行うて、雨を求め、反つて朱素を拘し、社は朱鼓を伐つ」とあり、春秋繁露に「雨を求むるには、神山神淵を開いて薪を積み、夜は鼓を撃ち譟いで之を焼く」とあり、文章正宗に「神農求兩書、祈つて雨ふらざれば、薪を積み、鼓を擧つて、神山を賛く」とある。四鳴鶏民飢の誤だらうといふこと。CTO漕引漕は水運。CO)開輔國中と三輔、三輔は右扶風左馮翊京兆尹。ここ作霖雨書の說命に「もし歲大旱すれば、汝を用ひて霖雨と爲さむ」とある。(3)食間金馬門。CHI天棒天にも届く椰子。III小舟若臭雁宣都記に「俯して大江に臨めば、榮帶の如く、舟を視ること島雁の如し」とある。CIU牛渚通奥に「宣州當塗縣に牛〓磯あり、亦た之を采石といふ、險固守るべき處」とある。C14洛陽西卽ち華陰を云ふ。やうせいくんだたいはくじ:すなはいまたいへいくわうぎんじやう【題義】楊齊賢の解に太白の自註に、時在當塗とあり、卽ち今の太平なり」とある。黃山は、城:うけうだいそのうへたいへいふLくわうんんぐんち%あたか품やましよげつ北に在り、凌畝臺は其上に在る。太平府志に「黃山は、郡治の北五里に在り、高さ四十丈、山は初月ㄹきうつんうこうにはとりareま〓きうざんなこそうかうぶひしよりきうおよりよートうだい形の如し、舊傳、浮邱公、難を此に牧す、亦た浮邱山と名づく、上に宋孝武の避暑離宮及び凌畝臺の送登黃山凌献臺送族第深陽財濟充況舟赴華陰八二一さうし相思、いつく何許にかある、秀らくやうにし杏として洛陽の西に在り。