吉川[家文書之]一違一此間も如申候、元春隆景ちらひの事候共、隆元むとヘニ〓〓以親氣每度らんまんあるへく候〓〓、又隆元ちりひの事候共、兩人之御事者、御ゑさらひ候はて不叶順儀候〓〓、兩人之事ハ、爰元ニ御入候者、はとよ福原桂なとうへゑとニて、何と成とも、隆元下知ニ御ゑとうひ候って叶間しく候間、唯今如此候とても、とゝ〓〓內心ニね、此御ひつそくたるへく候/一孫々代まても、此ゑめしこそあらゐやしく候、さ候者、三家數代を可被(六)保之条、らやうまこそあり度者候へとも、未世之事候間、其段まてい及なく候、はりとては、三人一代つゝの事い、そとと此御心持候のてい、名利之二ヲ可被失候ノ(元就夫人吉川氏) (11,妙玖ゑのミを〓〓の御とふらひも、御屆も、是ニゑくましく候〓〓、(宍戶氏) (隆景室毛利氏)五龍之事、是又五もし所之儀、我々ふむんニ存候条、三人共ニむとへニ〓〓此御心持ニて、一代之間者、三人同前之御存分ならてい、於元就無互ニ堪忍ヲ宗トスラザ知隆春隆カハ下ハ元景元べ從シクハ三少ア此人クタ如代宍戶氏モ三人同樣曲恨ミ可申候〓〓、一唯今、蟲けらのやうるる子とを候、らやうけ者、もし〓〓此內らしらまさく成人候もる〓、心もちなと、らとのとくにも候もるをは、きんこん候て、何方之遠堺なとニも可被置候、又ひやうろく無力之者たるへきい、治定候事候間、さ樣之者をは、何とやうに被申付候共、そりらひニて候〓〓、何共不存候〓〓、今日まての心持、速ニ此分候、三人と五竜之事い、少後とるく御入候者我々こといし候ての御不孝迄候〓〓更無別候一我等事、存知之外、人を多うしない候之条、此因果候ねて叶ましく候と、笑止内々せうしニて候、然間、うさ〓〓の御事、此段御にゝゑミ肝要候〓〓元就一世之內ニ報候へね、不及申候、一元就事、廿之年、興元〓そるれ申候、至當年之于今迄、四十余ケ年候、其轉内人派小沢洞他家之写矢いうつるりの傳變ニ候黃然廣元就一人す吉川家文書之一第ハ子幼久勝ノ少諸處置手次多八今二、スト〓 〓思レ亂多譲 ル 生 4 1生殘ス不殘戰ヲ不