吉川家文書之一我等事、誠無器量無才覺ニ生申、其上常榮よい十一まてそなき申、終親之異見請不申、誰指南仕候者候のて、如此打過申候、殊西東も不存候者は、さま〓〓之そろりとおまいし、我々おぬき、何とやうにもよく仕候もると仕候異見之一言も申候物い無御座候、可有御推量候、誠我々とい、兄弟之一人も御座なく候、手も力もなき趣候、無曲候、不入事候上おこそまるこは仕罷居候、御方樣之と、親よも兄弟ニも打賴申一念候、被成御分別候者、生々世々可忝候、一我々と、誠めい仁之上之御手次ニ生合候と、我等ふうんまて候、親祖父之儀に不及申、先祖之御ためまて口惜候、毛利之家之儀、我等代よきつおはけ申まて候、無曲存置候、誠うると御年寄之上ニ一度悴家相續候樣よ御短息候にと無念存計候、可被成御分別候、弓矢ハ次第〓〓手廣罷成、ゑますい候いて如此成行候、其上よき内者〓候いて、よくひきさる物そうりよて、我々お我々と存者一人も候〓す候爲、一一大事と存元ノ死後輝元ノ指南者ナ輝元元春ニ賴ル輝元先代ヲ顧ミテ自重スまて候、遠海へ少舟乘出し候心之樣候、それいまたもの事候、一向後者、ひつらけ候て覺悟仕候〓てまて候、いうよも當城之儀、餘〓〓手廣候て、中〓〓おうしき物候、是非一城こゑらへ候て、自然の時い、とのミまなり候樣と存候、御次而も候をる時い、よそ事之樣に御申候て、上之御口ひき御聞候て可被下候、一向後只今よりの悴家之彼是申付さる、心へ之趣とも、被仰召當候もる事、以一書被仰聞候〓ゝ、可忝候、可申談候、一不及申候へとも、自然向後何篇御用捨之樣とも候てい、礑無曲可存置候、近比御とり亂之砌、長文まて申候事心なく候へとも、我等内意之趣申入候樣候、御すきは御らん候て可被下候、恐々謹言、輝元ノ支意城築造ノ圖元春ノ忠言ヲ請フ十二月十三日元春る人々申給輝元(花押〓)吉川家文書之一