吉川家文書之一北條貞顯武藏守殿北條時敦越後守殿吉川一心讓護○コノ文書、外題ノ兩花押一筆ニカヽリ、金澤貞顯ノモノハ當時ノモノト異レリ、(押紙)經盛之代(外題)任此狀、可令領掌之由、依仰下知如件、元亨二年十一月廿日關東安堵外題(北條高時)元亨二年十一月廿日相模守(花押) (金澤貞顯)修理權太夫(安藝國大朝本莊校村四原付原ゆりてわさす、あきのくにをわさのふんしやうゑとむら、きわら、をうわ状(平屋)塚(妻鹿原) (小枝)朝板鳴瀧ら、大ぬき、ならひよひらや、大めら、めらわら、こゑさ、あさいと、なるきき相材木山(以下)とうの田畠、〓ららよよいもくやまいけよいさるまて、くんこうのしやうとして、ちきやうさういなきものなり、志かるよ代々の御けうしよを益熊)(經盛)あひそへて、ますくまにゆつりわさすところ、くさんのとし、(經高)元應元年十月三日きんかわの次郞入道一心(花押)二一四吉川一心理讓狀案この狀ふまかさて、でやう掌をゑむへきよし、おはきふよてけちくさんのとし、元亨, (北條高時)さんきんらう二年十一月廿日さかミのかミのらミ在判關東安堵外題案(北條高時)さんさかミのかミのらミ在判(金澤貞顯)在判志ゆりけこんのらミゆつぞわさす、あきのくにたわさのふんしやうのうち、きわら、きら原をに、ますくまにゆりでとひ候ぬ、吉川家文書之一